本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第31回 人格の許容量

人格には、受け容れられる限界、許容量のようなものがあります。

それを超えたり、無視したり、むりに受け容れようとすると参ってしまったり、いろいろ不具合が出ます。

受け容れられる限度は人それぞれだし、種類も様々です。ある人にとってはストレスフルな状況が他の人にとってはそうでないということは多々あります。例えばわたしにとって登山はレジャーですが、ただ苦痛や苦行にしか感じられない人もいるでしょう。

また、ある人にとって化粧をいろいろ試すことは楽しみかもしれませんが、わたしにとっては苦痛です(そもそも化粧をしたことはないですが)。

こんなふうに、人それぞれ違いはあっても、受け容れられる体験に限界があることには変わりありません。

それは日常的にあらわれているし、世界の情勢にも反映されています。人間は多かれ少なかれ自分と違う生き方をする人(あるいはそのほかの動物に対してでもいいですが)に対して排他的な行動をとる傾向があります。その証拠に人類は、文化とか民族とか肌の色とかで区別してよその集団と争うということを、何千年だか何万年だか、飽きもせずにしています。

そもそもこういう人種やなにかの区別は人間が恣意的に作ったもので、区別しなくちゃならないというものではありません。それでも区別したがるのは、理性的な行動というよりは、動物としての縄張り意識なのでしょう。犬のマーキングみたいなもんです。人間はもちろん動物ですから、他の動物にあるように、縄張り意識を持っているわけです。それを、性別とか生まれとか宗教とか信条とかなんやかや、いろいろ理屈めいたことを言って脚色して、表現しているわけです。これについて私は、「人間という動物の縄張り意識の現れ方にはいくらかバリエーションがあるのだ」と、理解しています。

そういうわけで、縄張り意識としてもそれは出ているように、人格には許容量があります。

さて、人格に許容量があるということと、トラウマの関係について考えてみます。

どうしてかというと、トラウマというのは自身の人格の許容量を大きく超えた体験をすることで生じると、私は考えているからです。

さて、ちょっと話が変わりますが、同じ戦場で戦った人のなかで、その体験がトラウマになる人とならない人とのあいだに、ある程度性格の違いがあることがわかっています。

トラウマ研究の名著である、ジュディス・L・ハーマン著『心的外傷と回復』には、ベトナム戦争の帰還兵を対象としたトラウマの考察が載っています。そこでは、トラウマを発症しやすい人の特徴として、一匹狼的な生き方をしている人、教育の程度が低い人、などと載っています。逆にトラウマになりづらい人というのは、苦境でも仲間を大事にして力を合わせ最善を尽くそうとした人、死体損壊など過剰に暴力的な行動をしなかった人(怒りに身を任せなかった人)、理不尽な命令には抗議をした人、とされています。ただこうした性格の違い以前に、トラウマの原因となるようなできごとの度合いが、トラウマ発症の有無の最大の要因だと、はっきり述べられています。当たり前といえばそうですが、酷いできごとを体験するほど人はトラウマ発症の確率が高まるのです。そのほか、どの本に載っていたのか思い出せないのですが、トラウマ一般に対して、言語能力が高い人の方が回復しやすく、また事前に十分な期間トレーニングを積んで戦場に適応していた人の方がトラウマになりずらいということも、どこかで見聞きしました(追記:A・ヤング著 中井久夫 他 共訳「PTSDの医療人類学」に載ってました)。

さてここで、トラウマ体験という目に見えない心理的な衝撃を、物理的で目に見える「モノ」に置き換えて考えてみたいと思います。

100kgの鉄筋が上から落ちてきた時、一人で受け止めようとしたら、たいていの人は受け止められず、骨折など酷い怪我を負ったり、当たり所が悪ければ死んでしまいます。しかし、多くの人で力を合わせて受け止めたとすれば、怪我をする事なく無事に支えきれるかもしれません。力を合わせるためには他の人と声を掛け合う必要が生じます。声を掛けられれば、周囲の人の力を得られ、危険の程度を小さくできるわけです。また普段から体を鍛えている人の方が怪我のリスクは小さくなるでしょう。

この、物理的な衝撃への対処の仕方と、さきに書いたトラウマ発症になりやすい人とそうでない人との違いとは、経緯がかなり似ていると思いませんか?

さらにいうと、たとえ怪我をしたとしても、周囲のサポートを得てすぐに治療されれば回復が早く、逆に一人きりで治療が出来ない場合には症状が悪化するという点でも、物理的な怪我とトラウマの経過は同じです。

こんなふうに、トラウマ≑「心理的な怪我」というふうに考えると、理解しやすくありませんか?

身体の怪我には、擦り傷から全身打撲や脊椎損傷などのかなり重篤なものまで、かなり幅があります。同様に心の怪我にも、擦り傷程度から全身打撲まで、いろいろあるわけです。

トラウマを発症する「人格の許容量を超えた体験」というのは、肉体であれば骨折や全身打撲になる、あるいは死に至る、そういうレベルの体験のことだと、私は考えています。

トラウマの症状のひとつに、「乖離」というのがありますが、これは精神的にどのような働きが起こって生じているのか考えてみます。

繰り返しになりすが、トラウマ体験は、その人の人格が受け止めきれないほど重い体験です。降ってきた鉄骨を受け止めようとすれば体のどこかを痛めるように、過酷な体験は心(人格)の一部を傷つけます。ただし、降ってきた鉄骨は避ければ無傷で済みますが、トラウマ体験は、すでに自分の人格を構成する「体験」という要素の一部ですから、逃げられません。そこで、人は、許容量を超えた体験の重さに、既存の人格が押しつぶされないように、乖離という方法で、既存の人格とトラウマ記憶とを統合せず宙ぶらりんにしておく、というイレギュラーな対応を取るのだと、思います。

しかし、いつまでも宙ぶらりんで置いておけるわけもなく、体験された出来事というのは基本的には自動で既存の人格に統合されるよう働きますから(これは毒であれ養分であれ食べたものが自動的に消化吸収され肉体の一部に統合されるのと同様、不随意の働きなのです)、フラッシュバックとかが起こるのです。体が受け付けられないものを食べてしまい腹痛に苦しむのと、なんだか似ていますね。

さて、このブログの第3回で書いたように、トラウマ記憶は再体験されるものです。そして、再体験の際に「安心できる環境にいる」ということは、つまり、落ちてくる鉄骨をみんなに支えてもらう、という事なのです。みんなに支えてもらえば、あなたは無事その体験を受け止められる(あるいは消化できる)ようになるのです。その過程では、あなた自身の「心の筋肉」みたいなものもある程度鍛えられることでしょう。また、重いものを支えて力を発揮するための姿勢(フォーム)やバランスの取り方とかいった身ごなしみたいなものの心バージョンである「心の姿勢やバランスの取り方」も、きっと少しずつ分かってくるでしょう。

そうすることによって、あなたは成長し、トラウマ記憶からの回復がなされるのです。

そして、回復の際に身に付けた「心の筋肉」や「心の姿勢やバランスの取り方」は、あなたが生きていく上で役立つ「心をしっかり保つ技術」となって身についているはずです。

 

ac-kaifuku.hatenablog.com

 

 

第30回 ACとして身に付けた能力

アルコール依存症者の子どもたち」という、AC研究の先駆けとなった本で、著者のJ・G・ウォイティッツ氏は「ACの問題は、基本的には情報の不足だと思っている」というふうに書いています。

この本はすばらしい本なのですが、これだけだと片手落ちの理解だと現在の私は考えています。実際には「情報の不足」だけじゃなくて、さらに、情報の不足を補うことを邪魔するトラウマや、別の、たいていはネガティブな感情を基本にした生き方を強固に学んでしまっているし、そのうえ、その「不足した情報」については、これを学ぶのに最適な人生の時期を逸してしまっている場合も往々にしてある、ということもACにとっての足かせとなっていると考えています。ですから、実際には情報の不足というよりも、自分を幸せにはしない生き方の情報ばかりしっかり学んでいる状態だと言えます。

このブログの初回で言ったようにACとは「すごく偏った感情の経験」をしているのだということです。

そうなると当然、当事者である私にもすごく偏った経験を通して身に付けたものというのがあります。社会的には全く役に立たないものですが。

言葉の暴力を受けて育った私には、ほとんど直感的に相手が一番言われて傷つく言葉が分かりましたし、それで効果的に相手を傷つけることができました。

人間にそんな感知能力があるなんてたぶんみなさんご存じないと思います。

でも、十数年にわたってクソミソにいわれて死にたい気分になりながら、自分もいかに言葉で人を嫌な気分にさせられるか、ということを考え続け実践し続けると、そういう「悪口の達人」の境地に達することができるのです。格闘技や武道の達人は、対峙する相手の弱点が見えるそうですが、私はちょっと話をすると、相手がもっとも傷つく言葉が読めたわけです。そう、マスターです。冗談みたいでしょうが、これは本当のことです。

少し例を挙げると、私は小学校に入学して間もない頃に小学六年生のガキ大将と喧嘩して、勝っています。私はそのころはすごく負けん気が強くて、とりあえず一番上の学年の一番強いヤツを倒しておこうと思ったのです。ついでにいうと相手は二人組で、私は一人でした。私は相手の悪口を言って相手を泣かせて、勝ちました。これが切っ掛けで私は小学6年生の手下を従えることになり、肩車とかしてもらって遊びましたね。

言葉で人を傷つけることについては、11歳頃から意識してあまり使わないようにしていましたし、回復のプロセスを通じて無意識に出ていた言動まで意識化して変えてきているので今ではすっかりこの能力は衰えたと思うのですが、しかし言葉で人に影響を与えることについて、しばらくの間はいくらか変わった能力が残っていました。

もう十年も前のことですが、ミーティングでの分かち合いのときに、特別理由はないのですが思いつきでなんとなく「(ミーティングに参加している)この人が(悲しくなって)泣くような話をしよう」と思う時があって、そうすると本当に、私の話を聞いているとき狙ったその人だけが泣く、ということになりました。これは何度かやっていますので、たまたまじゃあないです。三、四人のいつも決まったメンバーでしたから、なんとなくその人だけが泣きそうなことに察しが付いたのですね。もちろん作り話をしたわけじゃなんて、自分の持つどのエピソードをどんなふうに話すかということを調節した結果なのですが。

要するに私は、言葉で他人のネガティブな感情に働きかける能力が猛烈に発達していたのです。日常でもそのほかの場面でも、まったく使いどころのない能力ですが、私は子ども時代にひどく苦しみ結構な犠牲を払いながらそういう使い道のない能力を発達させてきたことは事実です。ACでない子どもはこうした能力を身に付ける代わりに、愛情や思いやりやコミュニケーション能力といった、生涯使える生き方を身に付けたりしているわけです。私は必死に身に付けた悪口能力を、また必死になって捨てました。そしてまた改めて愛情や思いやりに基づくコミュニケーションを学んでいるわけですが、「なんと遠回りをして生きているのだろう」と思わされますね。

あっ、「日常では使いどころがない」と言った「言葉で人を傷つける」能力ですが、今の時代に私が十代の若者だったら、流行っているラップバトルに出て対戦相手の心をへし折るために使っていたかもしれません(笑)

「悪口能力」の他にも、ネガティブな体験に見舞われて普通の人だったら動揺するだろう場面であまり動揺しないということも、たぶん子ども時代に身に付けた生き方のひとつです。

以前勤めていた会社で、代表が不祥事を起こして警察に捕まることがあって、会社の人はみんなすごく動揺していたのですが、私はあまり普段と変わることがなくて(面倒くさいなと思ったけど)、新聞記者やおっかない人の対応も私が冷静にやって、当時の同僚達からすごく頼りにされたことがありました。

私はネガティブな感情が蔓延する混乱した状況に慣れていて、強面だったりガラの悪い人にも、ぜんぜんおびえません。私自身は、すごく丁寧に人に対する方だと思いますし、柔弱に見られることが多いんですけどね。別にメンタルが強いわけではないのですが(むしろ弱いし踏ん張りがきかない)、そういうのは大丈夫です。

なかなかこんなふうに、ACの偏った経験で身に付けたユニーク(?)な能力というのは語られることがないと思います。社会集団に溶け込むために障害となる部分ばかりがフォーカスされますからね。

かつては「言葉で人を傷つける」ことを極めた(のかな?)私ですが、18歳の時に「その逆のことをしよう、できるようになろう」と思って、今に至るということもあって、私のブログから、ACとして傷ついた心に対する「思いやり」や「愛情」を感じてくれる人がいたならばありがたいです。

それこそが、私がこれまで回復に努めてきた方向性が間違っておらず、生き方が変わっているということの証拠ですからね。

第29回 ストレスによる健忘発症の仕組み

わたしが健忘で苦むようになったのは22歳の頃で、死にたがっていた自分の子ども時代を思い出して書き出したのが契機でした。

当時大学生だった私は、時間の取れる今のうちに子ども時代の問題を片付けたいと、躍起になって昔のことを思いだして書き出していました。それは本当に苦しい作業で、当時は誰かに頼るということもできませんでしたから、頭がキリキリ痛むのをこらえながら無理して思いだして書いていたのです。

するとそんな作業を始めて数ヶ月してから、大学構内で自分が自転車を置いた場所を全く思い出せなくなることがちょいちょい起こりました。また、アパートの鍵をどこに置いたのか分からなくなったり、買い物に行っていったい自分が何を買いに来たのかを忘れてしまったり、メモに書いておいてもメモの存在自体を忘れてしまったりということが起こるようになりました。メモを忘れるようになった頃にはさすがに自分がまずい状態だと気付いていました。ともかく何もかも忘れてしまうし、だいたい世界というものにぼんやり霞がかかったような感覚で生きていると感じていましたし、なにかまともにものを考えることが本当に苦しく感じるようにもなりました。反射神経も鈍くなって、手元でものを落としそうになるとき、以前だったら落ちる前にパッと手を出してつかみ取れたものを、健忘が酷くなってからはぼんやりと「あー、落ちちゃうなあ」なんて呆けたように眺めて、ものが落ちてから拾うようになりました。

それでも、ストレスの原因である「子供の頃の体験を書き出す」という作業は、生き方を変えるために結局人生のどこかでやらなくてはならないものでしたから、どうせだったら早く手を付けた方がよくて、しかも気力体力があってストレス耐性の高い若い方がいいし、ようするに後回しにするともっと酷いことになる、と思っていたのでがんばって続けたのでした。

とはいえ、健忘状態もそのままにしてで言い訳はありません。解決しなければ、「このまま廃人になって死ぬな」と思ったものです。なにしろ一番酷いときは、「今日一日何をしただろう?」思い出してみても10分前のことまでしか思い出せないという、そんな体でしたから。そのころは頭が働かず基本的にずっとぼんやりしていました。反射神経も鈍くなり、危険に対しても鈍感になっていることを自覚していたので、交通事故などで死なないようにと、自動車の運転も控えていたし、自転車や歩行での外出も減らしていました。

あまり本は読めない状態でしたが、それでも読むよう努めていて、当時はノンフィクションの冒険ものを読んだりしていたのですが、「俺なんて冒険に出なくとも、部屋にこもって子ども時代を思い出すだけで健忘になって死にそうになれるなんて、まあなんとスリリングな人生を送ってることか」と思ったものです。

とにかくどうにかしようと、インターネットで健忘の仕組みを調べました。詳しい仕組みは書いてありませんでしたが、見当は付きました。人はストレスを感じると副腎皮質からコルチゾルというホルモンを出して、脳に届けます。このコルチゾルという化学物質は、人が危険に直面した時に、戦ったり逃げたりするため、要するに臨戦態勢を取れと脳の神経細胞に命令するものです(余談ですが、臨戦態勢になると出るホルモンとして有名なアドレナリンは、心臓や血管など主に身体の神経に働きかけます)。

ですから、何か事に当たる時には必要な働きなのです。しかし、これが長期間にわたり出ていると、神経細胞を傷つけてしまいます。

どういうことなのかというと、ここからは推測なのですが、臨戦態勢が続いていると、神経細胞がエネルギーを取れないんじゃないかと思うのです。危険を感じているときって、食欲湧かないじゃないですか? 同じように、脳がコルチゾルを受け取って戦闘モードで身構えている時には細胞にあまりエネルギーが届かないんじゃないですかね。すると、脳細胞は飢え死にしてしまいます。

当時の私の状態としては、この海馬がストレス・ホルモンのコルチゾルにさらされているために、栄養補給できなくなった海馬の細胞がバシバシ死んでいき、健忘になったのだと思います。

ところで、そもそも海馬はストレス・ホルモンの影響を受けやすく比較的弱い部位なのですが、いっぽうでほとんど唯一、大人になっても神経細胞が増える部位でもあるのです。なので、記憶のトレーニングを積むと、神経細胞が増えるのです。

というわけで、子ども時代のことを私が書き終えるか、あるいは健忘が悪化して書くどころではなくなってしまうのか、とかいうことを考えつつ、頑張って子ども時代のことを書き続けました。

その後、脳トレなどをして、記憶力はかなりマシにはなりましたが、十年以上が経った今でも健忘以前の状態には至っていません。年齢的な要素を差し引いても、忘れっぽい人になってしまいました。以前は、人と話したことは全然忘れなかったのですけどね、今はあっけなく忘れます。そこには、健忘だけではなく、そもそもトレーニングに費やせるエネルギーが少ないとか、または解離症状などの精神的な問題も健忘にからんできているらしいところがあり、すんなり回復できていません。

そのあたりの、回復の経緯はまた別の回に詳しく書きたいと思いますが、とにかく1人で辛い過去に立ち向かうのは危険、というのが私が健忘の経験から学んだことです。過去に直面する時は、誰かしらなにかしらのサポートを受けつつ取り組むことをお勧めします。

 

第28回 愛着形成による人格生成について

子どもが健康な精神発達を果たすためには幼児期の愛着形成が重要だ、ということは発達心理学であったり、あるいはACの本にも書いてあったりするのですが、それがどんなふうに人格発達に寄与しているのか内的な仕組みはどうやら概念化されていません。

と思ってたら、調べたところ「内的作業モデル」というのが「愛着形成」と同時にボウルビィによって提唱されていました。これは保護者との関わりの中で受けたフィードバックが後々まで子どもの価値観を規定する、というものです。ACの問題でいうところの「親から植え付けられた価値観」ということですね。

私も別途、似たようなことを思い付いたのですが、私の考えたモデルの方が保護者と被保護者である子どもの心理的相互作用のイメージが具体的で、一段うまいこと人格ができていくプロセスを説明できているように思いますので、ご紹介します。

ところで、「愛着形成」という言葉について、このブログをご覧の方ですとご存じの方も多いかと思いますが、大まかな意味を説明しておきます。

幼い子どもは保護者にべったりくっついてかまってもらいたがります。これを愛着行動と呼びます。乳児や幼児はそれを情緒的に必要としていて、その愛着行動の欲求が満たされないままに大人になると、ひどく自尊心が低かったり、情緒不安定だったり、人や物やなにがしかに依存的になったりする、つまりAC的な要素を持つ、というようなことが言われています。

どうしてそうなってしまうのでしょうか?

私は、愛着行動は人格の骨組みを作る過程(プロセス)であると理解をしています。それに沿って、健康に育てられるパターンと、ACのパターンとを挙げて比較しながら、「愛着による人格形成」について説明します。

幼児にはまだしっかりとした人格がありません。身近な大人に愛着を抱き、主にその大人との安定した関係性を通して人格が創りあげられていく、というのが良しとされる一般的なパターンです。

この「安定的な関係」を通して、具体的にはどういうことが起こっているのでしょうか?

幼い子どもの心はやわらかく不安定で人格らしい人格はありませんから、自然と何かに頼ろうとします。その時期に子どもを世話する保護者が子どもに対して愛情と思いやりを持って接している場合、その保護者は子どもの振る舞いを気に掛けて、心を開いて受け入れます。つまり、子どもを世話する人の心に、子どもの言動や特性があれこれ刻まれます。子どもからすると、低反発枕みたいにやわらかくへこむ相手に自分の心を受け止めてもらえることになります。つまり、子どもがいろいろなことをするたびに、愛情を持って世話する保護者の心は、いろいろな形にへこんで子どもの心を受け止めてくれるわけです。しばらく子どもの世話をしていれば、この保護者の心には、子どもの心を受け止めたことによってできた複雑な形のくぼみができあがっているはずです。これは子どもの心の形を受けたくぼみとなっているのです。そして子どもはこの保護者に自分のやわらかい心を投げかけるたびに、自分の言動が作った保護者の心のくぼみをなぞったり、かたどることになって、結果的に同じような場面では同じような心を使って同じような反応を示すことになります。あるいは違った行動を採ることで新たなくぼみが作られたりするわけです。これを繰り返すことによって、だんだんと心全体の形が明確になっていくのです。それをいろいろな場面で何度も繰り返すことで、独自で複雑な凹凸を持つ固有の人格のひな形が作られていきます。なお、保護者は、どこまで子どもの心を受け入れるかということを調整するなどで、しつけを行えるわけです。

より具体的なイメージでこれを説明すると、世話をする保護者が、世話をされる子どもの心の、鋳物でいうところの雌型みたいな働きをしています。「雌型みたいな働きをしている」ということから、愛着形成の段階では、複数人ではなく、特定のごく少数の保護者と愛着関係を持ち、最低限の人格のひな形ができるまで年単位の長期的な関わりが大事になるということも理解していただけると思います。数多くの保護者の心に、雌型があちこちばらばらになって形成されたのでは、子どもは雌型をなぞって自分の人格を形成することが困難になるからです。さらにもういっぽうで、親から虐待を受けている子どもが、それでも親に対して愛着を抱き続ける理由も、ごく少数の保護者に依存せざるを得ないこの人格形成の仕組みにある、と説明できます。

さて次に、ACの育つ環境を考えてみます。

たいていの場合保護者は幼児のことを十分に気に掛けていませんから、子どもは、愛着を十分に形成できる相手がいません。つまり保護者は、幼児のことを適切に受け止めるために心の形をきちんと変えてくれないのです。すると、いつまで経っても保護者の心はちょっとしかくぼみませんから、これに基づいてかたどられる子どもの人格も十分に形成されません。また、逆に、子どもの自然な心の発達を無視して、まだやわらかい心を力尽くで変な形にする保護者がいます。またこれらを同時に行うケースもありますが、これが心理面に於ける典型的な虐待の説明となります。さらには、子どもの言動を受け止める人が周囲にまったくいないケースもあって、これだとそもそも人格を作るための雌型がないわけで、ほぼまったく人格が形成されません。これが虐待の、特にネグレクトに相当します。ネグレクトは、暴力を受ける家庭で育った場合よりも回復が難しいということが、虐待を扱った本には載っていますが、この人格生成のモデルからもその理由が説明できます。

ちなみに私自身も、どちらかといえば親からの扱いはネグレクトに近かったです。

そして、4歳頃に母親のことは「このおばさんは自分の世話をしてくれるけれども一体なんなんだろう?」と感じていました。要するに、信頼していませんでした(信頼の感情を知ったのは二十歳を超えてからです)。もちろん、外出時に親とはぐれて不安になるということはあったのですが、甘えたりはほとんどしませんでした。甘えてはいけないと思っていたし、よく考えるとそもそも甘えるってことがよく分かりませんでした。食事の世話とかはしてくれるものの、味方だとは感じていませんでした。私自身は、以前書いたように「ぬいぐるみだけが自分の仲間」と感じていたのです。姉からいじめられて泣こうが叫こうが全然心配してくれなかったし、姉を躾けることもなく、ただ怪我をしたら医者に連れてく、というように、家庭内の状況には人ごとみたいに受け身で、対応はルーチン的で、私の心情を気に掛けてくれる様子がほとんど無かったのです。基本的には、死ななければいい、という考えの下で世話をされていたと思います。だからなのか部屋とかはものすごく汚かったです。

さて、そんなわけで私含めACの人はたいがい愛着形成がうまくいっていないわけです。AC向けの本には、「大人になってからでも子どもをやり直せばいい」ということを謳い文句にしている本が結構見受けられます。

私はこの主張について、ごく一部はそういうところもあるかもしれないが大筋としては間違っている、と考えています。どうしてなのか説明しますね。

例えば日本で生まれ育って大人になってから英語圏の国に移住して英語で生活することになったとして、子どもみたいに生活の中で自然と英語を習得して半年もすればすっかり日常英語に困らなくなる、なんて甘いことを考えている人はあまりいないと思います。

外国語学校へ通うなりなんなりして、文法とか単語とか、分解して教わる必要があります。理解の仕方からして違うのです。そして、母国語とは違う第2言語として習得することになります。そんなわけで、大人になってから外国語を学ぶには、子どもが母国語を学ぶのとは違う方法が必要で、子どもと同じ方法を採ったのでは、効果薄なんです。「子どもをやり直す」方法が間違っていると私が言うのは、これと同じ理由からです。

じゃあどういう方法をとったら良いのか、ということになると、「自助グループがあるよ」とか「思いだして書き出すことだよ」とか、「瞑想がいいよ」とか、何度も書いてきたことになるわけですが、今回ご紹介した「愛着形成による人格生成」を踏まえた説明を、また別の機会に書きたいと思います。

第27回 トラウマ記憶は凍らない

トラウマ記憶について「凍り付いた記憶」と表現されることがよくあります。専門家が書いたものでも、そんなふうに載っていたり、あるいは実際にそのような固定したものとして理解やら説明をされていたりします。

でもこれ、完全に間違いです。

現実のトラウマ記憶というのは、いつまでたってもピッチピチでみずみずしく、生き生きとして衰え知らずの、不老不死のような記憶です。

だから困るのです。

凍り付いて静かにしてくれてればいいものを、そうなってくれません。それがトラウマ記憶です。トラウマ記憶というのは、それが当人の意識に上っていなくとも、無意識下でその人の言動を左右するし、意識に上っている場合には、常に大きな声で自分の存在をアピールしてコントロールしようとする、そんなものなのです。

まあ、「生き生き」「ぴっちぴち」なんて表現をすると、一般的にポジティブなイメージと結びついている言葉ですから、なんだか相応しくないみたいな気がするかもしれませんが、でもそれが実際であり、実感でもあります。私個人の実感だけでなく、トラウマ記憶の典型的な症状に、「ある出来事が時と場合に関係なく理不尽なほど活発に意識に上ってくる」というのがあることは非常に有名ですし、皆さんご存じだと思います。

ようするに、トラウマ記憶には、ほんの少しも「凍り付いている」感のある要素はありません。むしろ、常にホットで元気はつらつなのです。

もちろん、 「凍り付いた」というのは、比喩ですから、事実そのままでないってことは承知しています。ただ、あまりにかけ離れているので、これは比喩とは呼べないと思うのです。比喩というのは、物事の本質を理解するのを促すために使われるべきであって、間違ったイメージを持たせるものであれば、それは比喩ではなく、でたらめと言うべきでしょう。

というわけで、トラウマを「凍り付いた記憶」と表現するのは、「でたらめ」だと思います。

話は変わりますが、ガンの細胞というのは、分裂の回数に限りがある普通の体細胞とは違い、永遠に分裂し続け若さを保つ不老不死の細胞であることが分かっていますが、なんだか似ていると思いませんか?

そんなわけで、トラウマ記憶のことは「凍り付いた記憶」と言うより、「記憶のガン」と言った方がずっと現実に即しているし、比喩としてもあまりおかしくないと思います。

第26回 頭と心と体を一致させる

 第8回の記事で「頭と心と体がバラバラとはどういうことか」ということで、ばらばらな状態について説明しました。

今回は、私が「頭と心と体を一致させる」ために役立った体験についてご紹介します。

はじめに断っておきますが、このやり方は私個人に合っていたやりかたではありますが、万人向けではありません。ぜひ、ご自身に会う方法を見つけてください。

さて、私の趣味は登山で、これが「頭と心と体を一致させる」訓練としてとても役立っています。登山を始めたばかりの頃は、ベテランに同行してもらっていたのですが、ちょっとしてから私はたいてい一人で登山をするようになって、それもあんまり人気のない山によく行っていました。人が多くいるところが嫌だったのです。一人での登山は気楽で、とても楽しく、毎週のように山へ行っていました。ただ、ひとりだと、怪我をしたり、疲れて歩けなくなったりすると、危険なんですね。誰も助けてくれない状況です。だから、自分の状況に自覚的である必要がありました。

つまり、山歩きをする時には、自分の限界を受け容れて、つねに自分の頭と心と体とを協調させ、現実的な折り合いを付けて、自分自身と仲良く、頭と心と体で一致団結して(ひとりなのに一致団結というのもへんですが・・・)、能力を発揮してなければならない状況だったのです。

もちろんまだ自己破壊衝動が強い時には、こういう危険なリスクを一人で負う行動はしなかったでしょう。

でも、そのときにはトラウマもだいたい片付いていて、ジョギングをずっと続けてきたので基礎体力もありましたし、なにより山登りが性分に合っていて楽しかったのです。

罪悪感を全く感じること無く心から楽しむ、ということができたのは登山が初めてです。感動しました。だからのめり込んだわけです。

登山をしている時には、自分の人生をくよくよ悩みませんでした。足場や道迷いや歩くペースやら天気や体の調子や疲労感などに気を配って安全に歩き続けなくてはならないので、そんなことしている余裕がないのです。山から帰って来ると疲れているにもかかわらず気分はとても晴れていて、仕事のストレス解消にもなっていました。

そんな一人登山の集大成となったのが、食料とテントのつまった23キロくらいあるザックを担いでスタートした4泊5日の北アルプス縦走でした。暑さで熱中症になりかけたり、その次の日には吹雪に巻き込まれたりしましたが、ともかく歩き続けた4日目。その夜に私は初めて「くつろぐ」という感覚を知りました。突然の吹雪のためにテント泊をあきらめて急遽小屋泊にしたのですが、カーテンで仕切られた狭い割り当ての空間で布団に寝転がって日記を付けていたらいろいろな思いが込み上げてきて、「ああ、自分はこれまでずっとがんばって生きてきたんだ」と実感したのです。「ずっと頑張って生きてた」とわかったのは、そのとき初めてくつろいでいたからです。以前の記事で「瞑想でリラックスを意識してそれができるようになったら、自分がずっと緊張して生きていたことがわかった」ということを書きましたが、それと同じようなことです。それまで、頑張ってない状態が無かったから、頑張ってたってことが分からなかったのです。でもそのときには、いつのまにか「頑張ってない」状態になっていたために、これまでの自分を振り返ったとき「頑張り続けていた」ということが分かったのです。そして、「頑張ってない状態=くつろぐ」ということもわかったわけです。また、自分がこれまで生き抜いてきたことを誇らしく思い、涙が出ました。

これ、実はまだ去年の秋のことで、一年も経ってません。

わたしが人生において、くつろいで気楽にしていられるようになったのは、だから本当に最近のことなのです。でも、それからは人と関わるのもずいぶん楽になったし、冗談を言ったりできるようになりました。肩の力を抜いて、ものごとに取り組めるようにもなりました。

私の場合には、たまたま登山が「頭と心と体を協調させる」訓練になったわけですが、当然ながら、登山をすればみんながみんなこうになるってわけはありません。

でも、トラウマを片付け、子ども時代に抑圧されてきた感情を見つけて、新しい、本来持っていた自分の人格をまとめていく過程では、誰でもなにかしらこういった「ちょっとした冒険」を通して、新しい人格の統合を図ることになるんじゃないかと思います。

どうしてかというと、健康的に育った子どもは思春期にみんなちょっとした冒険をして自発的に世界と関わる中で、世の中や自分という人間を知ったりして成長して大人になるわけですが、わたしにとって登山はそんな「ちょっとした冒険」の役目を果たしていたからです。

第25回 人格について

ACからの回復とは関係ないと思われるかもしれませんが、人格というものについて私なりの考えをお伝えします。

ACの回復に関する本で「そもそも、人格とはどんなものか」ということが扱われることはまずありません。実際の所はこのよくわかっていないものが、「当然みんな知っているもの」としてなんの説明もなく言葉として使われているわけです。けれども、ACとして回復させるのは自分の「人格」ということですから、一体人格がどんなものなのか、回復について説明する上である程度の共通認識を持っていたほうがいいことは間違いありません。

ここでは、人格についての哲学的な議論はさておいて、私が経験上回復に役立ててきた理解の仕方でもって「人格」の定義をしておきます。

人格の定義=「記憶と経験のネットワークそのもの」

さっそく、この例証を挙げます。脳に腫瘍ができて脳の一部が圧迫されたことで性格が変わってしまった、あるいは腫瘍ができたために脳の一部を手術で取り除いたら性格が変わってしまった、事故で脳を損傷したら性格が変わってしまった、というような例をテレビや本で見聞きしたことがある方もいると思います(フィネアス・ゲイジという人の例が有名です)。これは脳の神経回路が物理的に変化させられたことによって人格が変化した例と考えられます。しかし、このように脳の一部が欠損しても、人格そのものがなくなったりはしません。変化したものの、全体としてはやはり一つの人格になっているのです。それは人格が「ネットワーク」だから、ということで説明が付きます。脳の欠損が、全体のネットワークが保てなくなるほど重大なものではなかったために、生き延びられたわけですし、人格も、変化したものの全体が失われはしなかったのです。そして、人格を失うような脳の欠損の例としては、かつて行われていた「ロボトミー手術」が挙げられます。前頭葉を切除してしまう手術で、これを受けた人は人生に対する興味関心が失われ、生きているだけの存在になり、個性というものがなくなったそうです。

というわけで、人格を構成するネットワークの一部が欠けても人格が変化することはあれなくなりはしないが、大半が破壊されるようなことになると、失われてしまうということです。

なお、脳の働きというのは神経細胞同士の情報伝達、つまり神経のネットワークのことですから、「人格とは記憶と経験のネットワークそのもの」という定義は、脳の物理的な仕組みとも合致しています。

 

では「記憶と経験のネットワーク」が一つの人格に収束させられているのは、どうしてなのでしょうか?

あまり疑問に思う方はいないでしょうが、「記憶と経験のネットワークそのもの」が人格の定義ということからだけでは、「一人の人間に一つの人格」という、ごく一般的な考え方は導き出せませんから、念のためにそうなる理由を検討しておきます。

ところで、ネットワークというのは、インターネットがわかりやすい例になると思いますが、そもそも「一つ、二つ」というふうに数えるのにはあまり向きません。
インターネットって、一つと言えば一つですが、プロバイダで区切れば世界中に何百だか何千だかあることになります。便宜上の区切り方で幾つにでもなるし、そのような区切り方でしか分けられない、というものです。ただ、この便宜的な区切りというのを実際的に人に当てはめると「一人の人間は一つの人格を持つ」という常識的な考え方を導き出せます。

つまりこれは、たいていの人は外見上の肉体が一つで、脳も一つで、神経のつながりも一つの肉体の内部に収まっているために、そのように区切られている、ということです。要するに、「一人の人間の中に一つの人格がある」というのは、肉体的制約や特徴から導かれた直感的で慣習的な理解ということになります。

けれど、これは慣習的な認識ですから、もちろん例外もあります。現実には胴体や手足が一組で頭だけ二組、という姿で生まれてくる人がいて、その場合、人格は「二人」と見なされています(アビゲイル&ブリタニー・ヘンゼル姉妹のように)。それとは逆に、頭部を含めた肉体は一つだけれども、精神内部で「二人以上」の人格を持っている人については、解離性同一性障害(多重人格)とされ、いずれも一般に健常者とは見なされませんが、存在しています。

そしてさらにもうちょっと極端に論を進めると、この場合に健康な人と見なされるか見なされないかは、多数か少数か、という違いに依っているのです。みんな肩から上に頭を二つ付けていれば、それが健常者であって、一つの頭に複数の人格を持っていれば、それが健常者となるということです。

話を戻すと、そんなわけで、「人格は慣習的に一人に一つと見なされている」ということを、この段落の結論とします。

さて、このブログとしては、じゃあこれが回復とどう関わってくるのか、というところが大事になります。

これまでACの回復については「欠陥住宅を直すようなもの」と例えたり、「外国語を習得するのと似たところがある」というふうに説明してきましたが、実際には、ACの回復・成長とは、人格を作り直すことであり、脳内の記憶と経験のネットワークを作り変えること、もっと具体的にいうと、脳の神経回路のつながりを変えること、と説明できます。

第3回の記事では記憶の仕組みから暴露療法による回復の原理を説明しましたが、これはトラウマ反応を弱めるためのものであって、新しい生き方をするには、これとはまた別に「学習」が必要です。これこそが「脳の神経回路を変えること」そのものなのです。それは例えば、信頼を示すコミュニケーション方法を理解したり、落ち着いた心持ちを自分のものにすることだったりします。

さて、最後に、人格を成している「記憶と経験のネットワーク」の特徴の一つに、つながり方に強弱がある、ということを述べておきます。よく練習したことはすぐに思い出してできるし、あまり練習していなかったことはなかなかできませんよね。ACの生き方は幼い時に身に付けたものですごくよく学習しています。だから、大人になってから新しい生き方を身に付けても、ACとしての生き方をすっかりなくしてしまうことはなかなかできないので、根気よく取り組む必要があるわけです。

それでも、新しい生き方をしっかりと身に付けてACとしての生き方を使わずに済むようにすれば、なくなりはしないまでも、現在の言動とのつながりは弱くなっていくので、ACとしての過去に囚われない生き方ができるようになるわけです。

というわけで、ACとして問題に取り組んで回復させようとしている「人格」とはそもそも一体何なのかについての、考察&説明を終えます。