本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第39回 感情はいつもすぐ隣にあった

自分の気持ちが分からない(そもそも十分に感情が発達分化していなかった)、認められない状態が長く続いてその影響下で生きてきたわけですが、回復するにつれていくつもの自分の感情と出会いました。

そして、自分の感情と出会ったとき毎回思うのは「なんだ、すぐ隣にあったじゃないか」ということです。感情というのは、遠くに探しに行ったり、突飛なことをして見いだすものではありませんでした。気持ちを落ち着けて、感情に気付く感覚を身に付け、その結果、常に自分と共にあった感情に気付けるようになっていくものでした。

例えるなら、自分の感情を探し求めるというのは、頭にメガネを乗せていながら「メガネ、メガネ、メガネはどこだ・・・」と探しているような状態だったというわけです。

考えてみれば当たり前のことで、だって自分の感情なんですから、自分の意識のすぐ近くあるに決まってるのです。

分かってしまえば「なんだ、こんな近くにずっとあったじゃないか」と思えるのですが、そうやって気づけるようになるのは、簡単じゃありませんでした。できるようになったり、分かるようになってしまえば、なんてことないけど、できるようになるまではできない、わからないことって、けっこうあるじゃないですか? 逆上がりとか、自転車に乗るとか、三平方の定理とか、その他もろもろ。そんな感じです。

ただ、分かってからもその感情に馴染むまでには時間がかかります。取り扱う感情が増えるって、けっこう大変なことです。最初は違和感があるし、見つけた感情があることを当たり前に感じるには、1年くらいかかってきました。意識の中に感情の居場所ができて、自然と表現できるようになったり、他の感情や意識と連動して馴染むには、それくらいかかっています。

また、見つけた感情と折り合いを付けられるようになる、というのはまた別問題として取り組む必要がありますが、これは特にACに限った話ではないことでしょう。感情の赴くままに生きていられるわけじゃないですからね。

感情を見つけるのは、夜にジョギングしている時が多かったです。というか、ほぼいつもそうでした。月明かり程度の明るさの中、川沿いのサイクリングロードを1人で走っていて、唐突に気付くわけです。「あ、あった」とか「あ、これが楽しむって感情だったのか」とかいう具合に(きっと、単調で軽い有酸素運動っていうのが、脳の活性にも効いているからなんでしょう、そのほかにも考え事とか悩み事とかストレスだとか、いろいろなことが、夜のジョギング中に片付いています)。

心の混乱をできるだけ片付けて、落ち着けて、自分の心の小さな声を聞き分けられるようになることが、感情に気付くポイントです。それは心の中に嵐を起こしていたトラウマを片付けて静けさを身に付けるにつれ、容易に聞き取れるようになって、いつのまにか苦も無く当たり前のこととしてできるようになっていたりします。

でも、忘れないようにしているのは、これはわたしにとってまったく当たり前ではなく、意識的で持続的なトレーニングで身に付けた能力であって、注意していないとまた失われる、あるいは後退するものだということです。

いっぽうで、これまで続けてきたように、回復を続けていけば、より自分の心と仲良く、人の心にも配慮でき、思いやりや愛情に基づく生き方ができるようになっていくわけでしょうから、こつこつミーティングに出たり、目新しい感情の変化や回復・成長について気付いたことをノートに書いたりして、回復・成長の機会を自分に設けているわけです。

第38回 やりたいことをやりたくないことよりやれない

前回の内容と通じる話ですが、タイトルの通り、私、やりたいことをやりたくないことよりやれませんでした。そして、今もけっこうそのことで苦労しています。

例えば、まず、やりたいことを思い描くのが難しかったです。子供の頃はそうでもなかったのですが、18歳で人生に参ってしまって以降、トラウマ全開になってからは、罪悪感の強さや自尊心の低さがとにかく強かったのです。それで、自分が何かを望もうとすると「無駄だ、意味が無い、くだらない」というトラウマの大合唱が脳内で発生して参ってしまうのです。だから心情的には、何も望まないで生きている方が楽でした。でも何も望まないで生きる、ということは無理なので、トラウマとの戦いに明け暮れていたわけです。とにかく、ちょっとでも「個人的な願望」なんて感情が生じると、同時にトラウマとの葛藤が始まって、ものすごく疲れました。実際には一ミリも動かなくても、脳内バトルで疲れて身動きが取れなくなってしまうほどでした。

そんな感じで、やりたいことを認めるのがものすごく困難でした。自分の心を声を少しでも聞き取ろうとすると同時にトラウマが自分を攻撃し始めるので疲れてしまうわけです。まあ、トラウマも願望もどちらも自分の心なんですが、自分が自分の敵になっているわけです。

本当にこれ、げんなりします。

実のところ、わたしはやりたいことに全力で取り組んで熱中できる人になりたくて、そういう人にずっと憧れてます。また、そうなろうとかなりながいこともがいてきましたが、残念ながら、なれていません。

自分の願望に従って動くことを妨げる心の働きは、上に書いたトラウマの大合唱だけではありません。自分の願望を無視する癖や、面倒くさく感じるというのも、ものすごく強いです。さらに、なんとか楽しんでみても、それには常に強い罪悪感がつきまとう、倦怠感が酷い、ということでも苦しみました。例えばなんとかトラウマの大合唱を乗り越えて、自分の望むことをやろうとすると、今度はすごくおっくうでおっくうで仕方がないんです。また、おっくうとか思う以前に、何かをやろうとすると、途端に忘れる、ということもあります。例えば、パソコンで何か作業をしようと思って立ち上げると、絶対まったく関係ない、どうでもいいネットサーフィンをさんざやって、目が痛くなって疲れてもうパソコンを辞めたくなった時になって漸く自分がなんのためにパソコンを立ち上げたのかを思い出したり、あるいは最後まで思い出せずパソコンをシャットダウンした途端に思い出したり、ということも本当に頻繁にありましたし、今もあります。とりわけやりたいわけじゃない、仕事をする時にはあんなに熱心なのにね、と我が身のことながら思います。

こういうのは、世間一般で理解されている、「やりたいことをやると人は楽しめる」という心働きとは真逆です。

こうした心の働きについて、あるACの回復に関する本で、「ACは物事を楽しむのが下手」という具合に説明されているのを読んだことがあります。これは、間違ってはいませんが、ただこの表現は私からすると結構上から目線でACを観ているような意見だと感じます。少なくともACと同じ目線に立ってはいないように感じます。

ACの場合、楽しむのが下手とか上手いとか以前に、だいたい常に「何事であれ楽しむのが困難な精神状態にある」というのをまず想定して欲しいものですし、その方が実際のACの心理に即しているはずです。私の場合、否定の声、忘却、罪悪感、無気力といったトラウマとの戦いがこれに当たります。

こういう精神状態を、ACでない人にも伝わるように例えてみますと、腹痛に見舞われて1秒でも早くトイレへ駆け込みたいときに、なんであれものごとを楽しむなんてことは、99%の人はできないでしょう。あるいは、虫歯が猛烈に痛む時にあなたは物事を楽しめるでしょうか?

もっと生々しい例えを挙げると、生爪を剥がされて血がダラダラ出ている時に、痛みをこらえる以外のことにあなたは意識を向けることができるでしょうか?

大事な受験なり、大勢の人前に立つめったにない機会を目前に控えて、あなたはくつろいで何かを楽しむことができるでしょうか? ほとんどの人にはできないでしょう。

ようするに、痛みや恐怖を感じていたり、何か切迫した状態では、普通、人はものごとを楽しめません。

そしてACは、心理的なり肉体的に恐怖や痛みや切迫した状態を強いられて育っていることが多いのです。

ようするに、ACって常に気を張って生きてて、戦闘モードなのです。

それが、ACが「サバイバー」と表現される由縁ですね。

「じゃあ、リラックスすれば良いじゃん。くつろげるところに行くなり、するなりすれば」と、きっと普通の人は思うんですよ。

以前にも書きましたが、私が「リラックスする」ことを覚えたのは、瞑想をするようになってからですし、くつろげる(心理的に余裕を持って、かつリラックスしている状態)ようになったのは、回復に取り組むようになってから17年後の昨年になってからです。

詳しくは別の回で書いてある通りですが、緊張し続けて生きてきたので、緊張していない状態でいることができないのです。そもそも人格の要素に、「リラックスしている」とか「くつろいでいる」状態がないのです。

(そういう要素を心に持たないで生きているということは、たぶんそうでない人には理解が難しいと思います。あなたが五体満足であれば、たぶん片手や片足がなく生きるということを、正確に想像するのは難しいでしょう。でも物心ついた頃から片手や片足がない場合、その人にとってはそういう状態は日常で、逆に、両腕や両足がある状態で生きていることが、なかなか想像できないでしょう。要するに、理解して歩み寄るには意識的な努力がけっこう必要な、かなり違う世界に住んでいるのです。

私はACですが、ACでない人の心理を理解するのにかなり苦労しました。それがあまりにも普通と思われていることで、いちいちだれも説明してくれないし、そもそも言語化されていなかったり、大人になってから学ぶ機会が少ない情操について、習得のプロセスを自分で考えたり、意識して何年も継続的な訓練を行う必要があったからです。)

以前、ものごとを楽しむ、ということを身に付けたくて、努力してものごとを楽しもうと務めていたことがあります。でもうまくいかきませんでした。今思えば、それは、楽しむ以前に自分の心の怪我に目を向け、対処する必要があったためだからだと思います。無理に楽しもうとなんてしなくてよかったのでしょう。まず、私を苦しめている痛みに目を向け、必要な対処をして痛みを軽減させなくちゃならなかったわけです。回復には順序があるっていうことですね。

 

追記

やりたいことをやっている時に生じる「呪い」には、もう一つ「自己破壊衝動」的なものがありました。自分がやることなすこと「失敗するはずだ、駄目になるはずだ、うまく行くはずない」という強い思い込みが生じて、自分のやる気を削ぐし、失敗を誘発するのです。こんなふうに「呪い」が何重にもかかっていたし、その名残に今も苦しんでいるのです。

第37回 ポジティブな感情をエネルギーにすること

って、難しい。ずっとできなかった。少しずつできるようにはなっているけども。

ネガティブな感情をエネルギーにして生きることは出来てたけど、その逆はやったことがなかったから長いことできなかった。いや、でなかったわけではないな、子供の頃は出来ていたのだけど、18歳で絶望してから出来なくなってしまった。

感情がなくなるほどエネルギーが枯渇してしまったのが原因だ。

その後は、トラウマがたくさん表に出てきて、摂食障害とか健忘とか対人恐怖とかいった形で私を苦しめた。それとの戦い、葛藤で、人生を楽しむどころではなかった。ものすごく混乱していたし、ただ生きているのが辛かった。このころは主に恐怖心(ときどき怒り)を原動力に、生きていた。原動力にするってことは、ほとんど常に恐怖心を抱いていたわけだけど、そういう状況というのは辛い。

だいぶトラウマや混乱が片付いてきたところで、登山を切っ掛けにまた物事を楽しむ、楽しむことを原動力に動くってことができるようになってきた。でも本当に登山中とその前後2時間くらいが活動的なだけで、それ以外のときは引きこもりのメンタルで、エネルギーがない。エネルギーがないっていうのはなぜかというと、18歳までで一生分のエネルギーを使ってしまったためだ。そのうえ常に外国の文化に馴染んで生活しようとしているような感じで生きている(ACの文化じゃない世界できている)ものだから、暗に気を遣うし疲れる。だから、日常生活に於いては全然活動的ではない。掃除や洗濯といった家事一般は本当に最低限しかしない。ものを片付けるのもすごくおっくうだ。

体力はあるし、体も健康だし、心もまあひどい状態ではない。でも、エネルギーがない。すごいとかおもしろいとか楽しいと思う本を、どんどん読むだけの気力が無い。だからつんどくになっている本が多い。ほんの少しずつしか、読み進められない。ポジティブな感情は、なかなか行動力にならない。わたしは、「楽しいから頑張れる」みたいなことがなかなかできない。仕事で義務としてやっていることの方がはるかにエネルギーを効率的に注げている。仕事は、たぶん普通の人並みにやっているのだ。まあ、仕事については、親の自営業を幼い時からずっと手伝っていた経験があるので、「精出してきちんとやるもの」という感覚が染みついているってのが大きい。

ただし子どものときと違って、いま仕事では、「周りの人に支えられながら仕事をしている」というのも感じているし、それが励みになってもいる。そういうポジティブな感情をエネルギーにして動くことはあるていどできるようになっている。この「仲間がいるから頑張れる」的な感情は、以前は全然分からなかったし、それエネルギーにすることはできなかった。ここは変化している。

だのに、純粋に自分のことになるとろくに面倒を見られなくなる。葛藤やトラウマが片付いていることで、だいぶマシになっているのだけれども、ただ自分でいるのがしんどいというのは、解決してはいない。マシになるよう、ちょっとずつでも回復を続けて、あきらめずに生き続けるしか策はないのだと思う。

第36回 宣言と開放

先日のことですが、私は母親に下記のような宣言をしました。

宣言というと、強く言ったみたいですが、普通のトーンで普通に話しました。

「俺は、『姉に刺身包丁で追いかけられた』とか、大人になってからそのことで当人に怒ったら『お前なんかあのとき死んでれば良かったんだ』といわれたとか、それを見ていたあなたが『お前が弱いのが悪いんだ』と、俺を責めたことだとか、育児放棄されてたとか、そういうことを極力人に言わないできたけど、普通にいうことにした。俺が悪いわけじゃないのに、俺が後ろめたさを感じてなくちゃいけなかった。あんた達の悪評が広まることに気兼ねして、言わないフシもあった。でも、普通にいうことにした。あんた達のやったことはあんた達が責任を取るべきで、俺が抱えてる必要はないはずのことだから。あんた達の尻を持つのに加担するのは、辞める。自分のやったことのケツは自分で持ってくれ。姉たちにも機会があったらそう伝えといてくれ。いや、べつに言わなくてもいいか」

このことについて私はずっと怒りを抱えていて、第10回のブログにその思いを載せています。

ようやっと、自分の中でこういう結論が出て、それを当事者に伝えたわけです。

そうしたら、すごく体が楽になりました。

私は家庭の中で、スケープゴートの役割をさせられていました。親姉妹の感情のはけ口として使われていたのです。「こいつには、何を言っても、何をやっても、いいだろう」と暗に思われてきたわけです。それは上に書いた過去の姉や母の言動にも表れている通りです。

家庭で行われてきたことが公にならないよう配慮することは、私がこの役割を演じ続けることを意味していました。加害者を守ることに私は加担してしまっていたわけです。心情の上でも、ずっとそれは重石として私にのしかかっていました。

私の趣味は登山で、トレーニングもしているし、太ってないし、体力はまあまあある方なのですが、仕事で気を張っている以外のとき、普段はすごくからだが重くだるいという状態がずっと続いていました。このだるさ自体は、18歳で絶望を体験してからずっと続いていた、もう19年も抱えていたものです。

それが、この宣言をした途端、ほとんど消えました。

私に取り憑いていた悪霊が一気に退散したような感覚です。

 この宣言の後すぐジョギングに出たのですが、すごく体が軽くて「これが本来の俺の体の重さだったんだ」と感じました。体がだるく重かったのは、ほとんど精神的な負荷の為だったわけです。

それで、私から飛んでいった悪霊の行方についてですが、科学的ではない説明になってしまうものの、そもそもの責任者のもとに還っていったのではないかと思っています。なにしろ、私が抱えていて、それを手離したのですから、本来の持ち主の元に還るしか行き先がないからです。

だからといって親姉妹の言動を人に言いふらしたいってわけじゃないのですが、私の人生に起こった出来事としては、普通に話すことになると思いますし、現に一昨日の仕事の飲み会でも会話の流れの中で特に気負うこともなく話していました。

もちろん、ミーティングでもこの出来事は話しました。

ときどき、こういう明確に自分の成長を感じられることが起こるので、回復と成長は「やっててよかった」となるわけです。

 

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第35回 回復のプロセスを旅に例える

回復のプロセスはよく「長い旅」に例えられます。

これについてふと思い付いたことなのですが、旅は旅でも、「アルパインライミング」みたいだなと感じました。

バイクや自動車でのツーリングや、豪華客船でのクルージングでも、観光地への物見遊山でもなく、「アルパインライミング」です。

アルパインライミングと聞いて、それがどんなものかすぐ的確に思い付く人はきっとあまり多くないと思います。

登山の一種ですが、歩くのは整備された一般的な登山道ではなくて、例えば国土地理院地図などを参考にして尾根筋などのなかから行けそうなところを探って進むものだったりします。したがって難易度は高くなりがちで、道中、転んだら即命を失うような危険な箇所ばかりが続くこともあります。ですから、危険箇所ではロープを出して安全を確保することもあるし、雪や氷があればアイゼンやピッケルが必要だったりします。

ともかく、一般的な登山(ハイキング)に比べると、体力・技術的共にずいぶんと高いハードルが課せられます。

私にとって、回復のプロセスは、こういう、アルパインライミング的な厳しい旅路だと、これまでを振り返って思ったのです。

いちおう断っておくと、私の趣味は登山で、アルパインライミングをする人です。

ですから、なんとなくイメージで例えているわけじゃあなくて、どちらもやった上で、実感を持ってそう言っているのです(とかえらそうに言ってみましたがアルパインをはじめて一年も経ってません。でも入門的なバリエーションルートや雪山には行きました)。

 もちろん精神的な活動と肉体的な活動という大きな違いはありますが、それでも似ているところはたくさんあると思うのです。

例えば、すぐに思い付くのが、

「重い荷物を背負って厳しい道を自分の足で歩かなくちゃいけない」

というところです。

荷物はぜんぶ自動車に載せてアクセルを踏めば猛スピードで進んでくれる、なんてことは回復では起こりません。自分の足で一歩一歩進むしかありません。

 登山でも、自分の荷物をなかなか他人に持ってもらうわけにはいきません。なぜなら、ほかのメンバーも同様に、その人なりに、かなり堪える重さの荷物をしょっているからです。重いのは自分だけじゃないのです(雪山テント泊なんてなると、25㎏ぐらい背負うことはざらにあります)。

あとは、安全管理の技術が大事なことや、心の落ち着きが大事とかもそうです。ひとりでやるには限界があって仲間が必要な事や、先ゆくメンバーに教えてもらうこととかもそうです。

「スリップ」すると立て直すのが大変ってことも、似てます。尻を打っていたい思いをするくらいで済めばいいのですが、ときには、深いところまで落っこちて死んでしまう人がいる、ってところも含めてです。

そして、シンプルな「道具」を使いこなすことが大事だという点も、似ています。

登山ではいくら良い道具があっても使いこなせなければただの荷物です。そして、いろいろたくさんの道具を持っていくことは重量増加につながるため避けたいので、ロープやカラビナなどのシンプルな道具を最低限だけ持って、状況に応じて様々に使いこなす必要があります。これは、練習や経験が物を言います。

またこうした道具は、基本的に自動で自分を助けてくれるわけではなく、ただのロープとか金属のわっかとかなので、コントロールするのは自分です(まあ例外としてGPS機器やビーコンがあったりしますけど、これらも自動で助けてくれるわけじゃないですしね)。

自助グループで使う回復の道具も、12のステップや12の伝統、あるいは祈ることや瞑想といった、ごくシンプルなものです。回復においても、これらの道具を、自分の必要であったり精神的な状況に応じて選んで使いこなし、心の平安を保てるようになるには、結構な練習や道のりが必要です。

そして、アルパインライミングに於ける安全確保の技術というのは幾多の失敗の経験から導かれてきたものですが、自助グループの回復のための12のステップや伝統も同様に、幾多の失敗の経験から導かれてきたものです。

 

登山が回復に役立っているということは何度かこのブログでも書いてきていますが、アルパイン・クライミングの在り方そのものが、回復の道のりと似ていているなあと思い、親和性のある活動をしているのだなと理解した次第です。

説明が後になってしまいましたが、12のステップと12の伝統は、AA(アルコホリックアノニマス)で生み出され、多くの自助グループで使われている回復の道具です。経験則でできていて、いろいろな失敗から学び、現在の形になっているそうですが、そういった生まれた経緯は、生みの親の組織であるAAの書籍に載っています。

人生においても(登山においても)、向かう先は人それぞれ様々ですが、回復したり先へ進むために使える道具や技術、経験には、あるていど体系的で汎用性の高い知恵の蓄積があるのです。

だったら使わない手はないじゃないか、と私なんかは思います。車輪の再発明なんてしなくていいわけですから。

第34回 アダルトチルドレンを「卒業した」とか「元AC」とかいう表現について思うこと

ときどきブログとかで「ACを卒業」や「元AC」という表現を見かけます。

どれだけ回復にとりくんできたのだろうかと興味を持って目を通すと、問題に取り組んで数年程度(3年とかせいぜい5年とか)のことが多いです。

これについて私がどう感じているのかを例えますと、

両親も日本人で日本生まれ日本育ちの人が、渡米して、アメリカに数年住んだだけで、「元日本語ネイティブ」「元日本人」「日本語なんて出てこないし、忘れ去ったわ」とか言い切っちゃっている感じ。

かぶれてますね、だいぶアメリカにかぶれてますね。

でも、中身は絶対追いついてないです。

いや、そのくらい劇的に変わってくれていいんですけど、例外的に変われる人もいるかも知れませんけど、普通は無理ですよ。

数年海外に住んだだけでネイティブ並みにその言語が使えるようになるっていうのは、よほど頭が良くて言語の才を持った人だけです。

そのうえ、たとえ外国語がペラペラになっても母語を忘れるわけじゃないし、それ以前に、外国語を学んでバイリンガルになることはあっても、日本語を母語に持つ人が大人になってから勉強した英語を母語にする(そして日本語を使えなくなる)、なんてことはないのです(ものすごく特殊な健忘やら暗示にかかる、あるいは非常にまれな仕方で脳の言語野を損傷をすることで、そうなる可能性が絶対にないとはいえないですけど)。

そして、ACの問題というのは、「母語」として身についている生き方そのもののことですから、数年で「すっかり解決」なんてことはないはずのものなのです。

そんなわけで、「AC卒業」とか「元AC」とか書いてる人に対しては、「回復に取り組んで前より人生が楽になったんでそういうふうに言いたいのね」くらいに思っています。

でもそうやって、「自分はもう卒業したから大丈夫」と思っていると足を掬われるというのは、自助グループの本にはよく書いてありますし、実際にそういう人を目にしたこともあります。回復への努力を怠ると、残念ながら元に戻ってしまうのです。

私だってACを卒業できるものならしたいけれども、そんなときに思うのが、

「みつごの魂百まで」

って言葉で、がっくりくるけど、事実だなあと思わされます。

性格ぜんぶは変わらなくとも、持っている良い性質を伸ばしたり、悪い性質を使わないことで小さくすることはできるので、そういうふうに考えてあきらめず回復に努めることが大事なんじゃないかなと思っていますし、それで私は成長・回復を実感してきています。

第33回 多重人格が生じる仕組みについて

第25回と記事で人格の仕組みについてお話ししました。

そして第31回の記事で、人格には許容量があるということや、トラウマがどういう形で精神に食い込むのかについても、お話ししました。

これらを組み合わせると、多重人格の発生する仕組みが大枠で説明できます。

今回はそれをご紹介します。

 

人格というのは、記憶と経験のネットワークによって生じているということでした。

また、人格には許容量があり、トラウマこれをはみ出してしまう経験である、ということでした。

それでは、人格の許容量をはみ出た経験がたくさんあって、既存の人格の枠外で記憶と経験のネットワークが創りあげられていったらどうなるでしょう?

そうです、既存の人格の外にもう一個の人格ができあがってしまう可能性が生じるのです。

全てとはいいませんが、多重人格というのはそういう仕組みで、一人の人格に収まりきらない体験なり経験が積み重なることで生じるケースがあるのではないかと私は考えています。

そして、人格の許容量というのは人によって様々で、大きい人もいれば小さい人も、ネガティブな体験は受け容れられるがポジティブなのは難しいとか、逆にポジティブな経験は受け容れられるがネガティブなものは難しい、とか、そういう個人差もあるし、どういった体験が許容できるのか、許容外となるのかはばらつきがあります。

また、生まれつき一つの人格の受け皿が小さくて、どうしても複数の人格でないとうまく現実と折り合いが付けられない、という人だっていると思うのです。

ただし、受け容れられない体験が全てトラウマになって、多重人格を生み出す材料となるのかというとそうでもなくて、忘れるとか、事実を歪曲して覚えるとか、そういう対処(心理的防衛機能と言われたりしますが、そういう自己防衛が生じます)をされる場合の方がずっと多いでしょう。(ところで、トラウマからの回復というのは、この人格の許容量を大きくする作業でもあります)

 さて、そんなふうに現実ではあれこれほかの心の働きもからんでくるわけですが、「一つの人格で受け止めきれない体験が材料になってもう一つの人格ができあがっていく」というのが、多重人格が生じる大筋の原理に変わりはないと思います。

それは現在一般に比較的理解されている「トラウマ体験が多重人格の要因になりうる」というものとも、あるいは、トラウマの有無とは関係なく、生まれつきの人格の許容量の都合でそうなっている、というケースもあるということについても、説明が付くわけです。

 

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