本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第2回 アダルトチルドレンの人格の材料

前回、ACは情緒的に偏った環境で育ってきている、ということを言いました。
 
たいていACは、怒り・憎しみ・悲しみ・苦しみ・恐怖・不安、などのネガティブな気持ちばかり使って、喜び・楽しい・嬉しい・達成感・有能感、などのポジティブな気持ちはあまり味わうことなく子ども時代を過ごします。
 
わたし自身、18歳のときには、「これまでの人生の85%くらいは怒りや憎しみや悲しみの感情で生きていて、楽しいことなんてほとんどなかった。信頼や愛情や思いやりという言葉は知っているし意味もわかるけれど、感情的には全然わからない」と思ったことがありました。これは当時の私にとってかなり衝撃的な発見でしたし、この少しあとに心の底から「死に物狂いで生き方を変えなくてはいけない」と思うことになったのですが、そのきっかけになった気付きでもありました。
 
日本で育った人であれば、常に日本語を聞いたり使ったりしているので、日本語が母語になります。あとで英語を学ぶこともできますが、英語を使いこなすようになるには、個人差はあれど、意識的な努力が必要です。大人になってからいきなりアメリカで暮らしても自然と英語が使えるようにはなりません。それに国が違えば、言葉だけではなくて、文化や習慣も違ってきます。もちろん、日本で育ってほとんど日本語しか聞いたことがないのに、英語を話してアメリカの文化を身に付けている人なんていません。
 
どうしてこんな当たり前のことをいうのかというと、育つ環境が違うと、人間は違った人格に育つし、幼い時には自動的に環境に適応した学習をするということが言いたいからです。
 
人の性格(あるいは人格)の土台は、ほとんど全てが子ども時代の経験を材料にしてできあがっています。大人になってからの経験は、よほどのことがない限り、この土台の上に積み上げられたり、広がったりしていきます。
 
ネガティブな経験ばかりの環境で育つと、そういう環境でどう振る舞うべきかを自然と学びます。逆に言うと、そうでない環境には適応しづらくなっていくのです。
 
いっぽうでACでない環境で育った子どもは、「愛情や思いやり、気遣い」を経験して、そういう環境に適応するのです。
 
ACの方に知って欲しいのは、『あなたがACなのは、おかしなことでも間違ったことでもなく、ただ幼い頃の環境に適応してきた』ということです。あなたは、幸せからは縁遠い偏った生き方を押しつけられてきたのです。
 
つまり、ネガティブな経験で育ち、そういう環境に適応している人と、ポジティブな経験に慣れて、そういう環境に適応している人が、世の中にはいるわけです。
 
こんなこと意識したことのない方が多いと思います。しかし、英語の世界と日本語の世界とで文化が違うように、かなり違います。私はこの違いを体験的に知っています。たくさんあるのですが、二つ例を挙げると、私は人に微笑みかけられることが怖かったですし、私を嫌う人に親しみを感じたりしました。普通の人とは全く逆の感覚でしょうが、私にとっては普通の感覚でした。これが、憎しみや怒りでできた私の人格の感覚、というわけです。
 
子ども時代の私の家庭を思うと、日常的にあるのは、怒りと憎しみと悲しみで、喜びは自分の弱さを示すものとして隠しました。少しでも心を開くことに恐れを感じるし、実際そんなことをすれば家族の誰かにばかにされました。お互い、弱みを見つけると相手をけなして傷つける習慣がありました。家族というのは、この世で最も憎み合う人間が一緒に暮らす最悪の場所だと私は感じていました。私は、辛いと思いながらも、逃げられませんから、がんばってそんな環境に適応していたわけです。
 
子どもは育つ環境を選べません。そうはいっても、私の両親に「子どもへの愛情が全くなかったわけではない」ということは事実です。本当に全くなかったら私は死んでいたでしょう。しかし、圧倒的に量が不足していたのです。このブログをご覧の方にも、「愛情が全くない親なんているはずない」とお考えの方がいるかもしれません。実際の所はわたしにもわかりません。どんな酷い親でも少しは愛情があるのかもしれません。ただ、ほとんどない親がいることは、虐待で子どもが亡くなったというニュースが珍しくないことからも、納得していただけると思います。
 
そして、憎しみと怒りの量が圧倒的で、愛情の量がとても少なければ、それは、実質的に、ないのと同じなのです。
 
それに、飢えて死にそうなときにかろうじて生存に必要なカロリーが与えられたとしても、飢えからは逃れられませんし、成長なんてできません。同じように、憎しみと怒りがほとんどで、隠し味程度に少しだけ思いやりや愛情があっても(それが子どもを生き延びさせていたのだとしても)、子どもが愛情や思いやりを学んだり感じることはできません。
 
前回、「心の栄養失調」という表現を使いましたが、例えば『十分に思いやりをうけたことがないのに思いやりがわかる子どもはいないし、思いやりを感じたり使ったりする心そのものが育たない』のです。心が育たない、というと形のない想像上のことのようですが、脳の神経細胞の発達に現実に影響しています。これは前回紹介した本で詳しく取り上げられていることです。
 
私は現在では、ものごとを心から楽しんだり、喜んだり、それを表現したりできます。それは、子供のころ十分に身に付けられなかった感情を、大人になってから意識的に学んだり育んだからです。これは、外国語を学ぶことと似ていて、トレーニングが必要でした。英語の文法や単語を学んで、それが自然と口から出るようになるには何年もかかると思いますが、私にとってこれらポジティブな感情が身について自然に感じられるようなるには、実際何年もかかっています。