本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第9回 気分転換は難しい

ACにとって気分転換は難しいです。

どうしてか?

楽しいとか、ポジティブな気分でいることがそもそも少ないからです。

 

気分転換っていうのはどういうものかというと、ただ気分を変えるってだけじゃなくて、ネガティブな気分のときにポジティブな気分になることを意味しています。「落ち込んで死にたい気分だから、気分転換のために嫌いなヤツらのことを考えて、殺意を抱くほど怒りに駆られよう!」なんてのは気分転換とはいえませんよね。

でも実際、ACの気分がどんなふうに移り変わっているのかというと、こんなのばっかりなんですよ↓

 

【AC的気分転換サイクルの例】

後悔→不安→苦しみ→怒り→憎しみ→恐怖→絶望(はじめの後悔に戻る)

 

普通に育った人にとっては、楽しいとかポジティブな感情や経験はそれなりに持ち合わせていて、必要な時には呼び出したりできるものなのかもしれませんが、たいがいのACにとってはそうではありません。楽しい気分というのに、慣れていないんですよ。

それに、怒りとか恐れに囚われているときに、すぐ気分転換って、たぶん誰にとっても楽じゃないと思います。生存に関わるような、原始的で強い感情に引っぱられている状態だからです。ACはだいたいいつもそういう感情に囚われて生きてきたわけですから、難しさはひとしおです。

 

ようするに、気分転換というのは、ネガティブな気分に打ち勝てるほどにポジティブな気分をしっかり身に付けた人でないと、なかなかできないことなのです。

 

また、楽しい気分に慣れている人は、楽しい気分にいる方が心地よいし、誰しもそういうものだと思っていると思います。しかしACにとっては、不快な気分でいる方が慣れているので、落ち込んでいる状態に妙な安心感があるのです。そのうえ、楽しむことへの罪悪感があったりします。

それと、ACはネガティブな感情の文化に慣れた人だということも、初回と2回目の記事に書きましたが(ネイティブ・ネガティブ、という用語を思い付きました!)、つまり、日本人は日本の文化に触れていると安心感があって、イギリスの文化に囲まれていると落ち着けない、というのと一緒なのです。どっちの文化が良い悪いということではなくて、見知らぬ環境よりも慣れている方に安心感を感じるというのは人間という生物の性質なのです。

 

ここまで書いてきたことを考えたのは、大学生のころです。

当時の私は、ネガティブな気分に打ち勝てるだけのポジティブな気分の体験を増やそうと、小さい頃にゲームが好きだったことから一時期ゲームセンターに通ってみたり、いいと思う音楽を聴いてみたり、なんかとにかく努力して楽しもうとしてみました。それに効果があったのかどうかよく分かりません。ものすごく葛藤が生じるし、自分をばかにする言葉の塊が頭に浮かんび、自分のやることなすことすべてが無駄でくだらなくて意味が無いという強迫的な気分に襲われたからです。トラウマと戦いながらでしか楽しむための行動を取れないって、その時点ですでに楽しくないですよね。

だったら楽しむことじゃなくても自分の為になることをすれば良いじゃないか、と思って英語とか勉強してみようとしてみても、やっぱりそれにも同じように「無駄だ、くだらない、意味がない」という呪いの言葉がつきまとって、死にたい気分になったりするわけです。

結論として、私が決めたことにはなんであれもの凄いフラッシュバックみたいなのが生じて逃れられない、ってことがわかったのです。私が決めたことにはなんであれクソミソに言われて育ったから、何をしたってしなくたって(何もしなくても、それはそれで「バカだ」「なまけものだ」と、なんだかんだケチつけられるわけですから)か、その記憶が出てしまうわけです。

それでも、そういう過去を引きずりつつでも、ポジティブな経験を増やしていかないと、一生気分転換できないままネガティブ気分転換サイクルの輪の中で生きることになってしまうと思って、ブレイクスルーが起きるまでやり続けようと考えていました。ただし回復に役立つことはほかにもいろいろやっていたし、反作用が大きかったこの行動に「効果があった」という自信はまったくありません。むしろ、ポジティブな気持を抱くことへのハードルの高さを思いしったという感じです。

 

じゃあ何が確実に気分転換に効果があったと思えるのかというと、第4回でテーマにした「瞑想」です。

ポジティブになる以前に、まず、自分が混乱しているとか、不快だとかいうことを自覚してそこから逃れる行動ができるようになることを身に付けました。ポジティブになる以前に、落ち着きを取り戻すことが大事だったわけです。感情のひどい混乱が片付かなければ、人間なかなか楽しんだりできないわけですよ。

気分転換の難しさがちょっとわかっていただけたでしょうか?

 

 今は私は気分転換ができますが、それはミーティングに通って少しずつトラウマを片付けて、毎日の瞑想によって落ち着きを培って、自分の内省を続けて、複雑な自分の感情の取扱説明書を書き続けて理解して、自分を受けれていったからです。

「3日で治る、幼少期のトラウマ!」というような、もっと簡単で効果的な回復方法があればいいと思っているのですが、「脳の長年の学習」という要素が大きいので、今のところ時間をかけて根気よくやるっていう方法しか安全・確実なやり方はないと私は考えています。それでも、「どうやれば、効果的に生き方を再学習するプロセスをたどれるか」というのは回復にとって大切なことです。

 

どうすれば回復と成長を効果的にできるか? 例えばミーティングに通ったり、知識を得ることもそうですし、またこのブログを書くことも私にとっては自分の成長のためです。勉強したことを人に説明することで、そのことへの理解が深まるっていうじゃないですか。それと同様で、回復と成長について自分の体験したことを人に伝えることで回復と成長をさらに定着させる、というのをこのブログでやっているわけです。

もちろん、読んで下さる方がいるというのはブログを書く励みになっています。私の経験が読んでくださった方のお役に立てば、私の辛かった回復の道のりにも他人に貢献できる意味があったことになりますからね。