本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第10回 虐待は、ばかばかしい

虐待を受けて育った身としては、虐待というのはなんと馬鹿馬鹿しいものかと思う。

人災ですからね、これ。親がもうちっとまともだったらしなくて済んだ苦労ですからね。私には何の落ち度もないですからね、まじで。

そうじゃなくたって生きることなんて面倒くさくてややこしいことなのに、何倍も面倒くささを増してくれますからね、そしてだれも幸せにしないですし。

基本的に、デメリットしかないですからね。

ものすごく努力して、苦労して、苦しんで、成長・回復していますけど、それでいて人生のマイナスを減らせてきてますっていうだけで、ぜんぜんプラスにはなってないですからね。健康に育った人から見たら人生の周回遅れもいいところですよ。しかも、健康に育った人よりも生きることに疲れてますからね。不利なだけでいいとこなし。

天変地異とか、突然変異とかの不可抗力であったらば仕方がないと思いますよ、生きるのが大変なのも。そういう人にはたぶん社会的なフォローも入りやすいじゃないですか。難病指定とかあって。ACは何にもないですよ。私ACですっていうの、恥みたいじゃないですか。すげー頑張っていきてきたのに。回復に猛烈に努力してきたのに、なんで恥じなくちゃいけないの? って思うんですよ。私悪いことしてないんですけど、むしろすげーがんばって、人間的に成長しようと努めて来たんですけど、なんでそれを隠して恥じなくちゃいけないのって、強く思うんですよ。悪いのは、おれを虐待したヤツらとかで、おれじゃないのに、なんでおれが自分の過去をかくして生きなくちゃいけないんだよって、そう思ってます。負い目を感じていきなくちゃなのは、おれじゃなくて、加害者の方だろうよってそう思ってますよ。

ばかばかしい、本当にばかばかしい。どうしてなんか悪いことしたみたいに、匿名でACであることを話さなくちゃなのか、と思う。

この前、友人に、虐待を受けて育ったことを話したら「あんまり人に話さない方がいい」とかアドバイスされた。こいつはそもそも説教臭いやつなんだけどたいていの人がたぶんそんなふうに思っていると思うんだ、実際。でも俺は、「いや、俺の人生これしかないんで、話さないわけにはいかないんだけど」と思った。だって人生の大半を、ACとして育つことと、その影響から回復することに費やしてきたんだぜ。

浅田真央の人生を、フィギュアスケート抜きで語れるか? 無理だろ? 俺にとってそういうことなんだよ、虐待を受けたこととそこから回復してきた事っていうのはさ。

 おれはおかしな存在でも間違った存在でもない。ACになる環境で育ったからACになっただけのこと。負い目や引け目を感じたり、自分を恥じなくちゃならないことなんて全然ない。

ACであることを恥じて隠すような生き方を暗に強いられる社会は、間違っていると思う。

どうにかこれを変えたい。声を挙げたい。

医者が憐れみながらACの気持ちを代弁するようじゃだめなんだ、当事者が声を挙げなくちゃ。

というわけで、真夜中独特の妙なハイテンションで熱く語ってしまいましたが、AC当事者の気持ちが当事者じゃない人にもちゃんと伝わって欲しいと思ってブログ書いてます。