本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第12回 誰にも助けてもらえなかったあなたへ

子供の頃に苦労したものの、社会的に成功して、精力的に生き、精神的に病んでいるわけでもなさそうな人というのが、ときどきニュースで話題になります。しかしそんな人には、まず間違いなく、誰か一人味方がいます。お兄さんとか、おばあさんとか。近所のおじさんとか、おばさんとか、とにかく、誰か味方がいた経験を少なくとも数年は過ごしています。誰か一人味方がいるかいないかは、ものすごく大きな違いです。ものすごく大きいです。

そして成功した彼らはこういうことをいうのです。「たとえ恵まれない子ども時代であったとしても、それに負かされることはない。努力次第で人生を切り開くことはできる」と。そして、ACでない人たちは、あるいはACもそれを褒めたたえるのです。

そうやって問題を自己責任論に還元してしまうことによって、社会としては問題に目をつむってしまえるのです。努力や根性、個人の責任ということになれば、幼少期に恵まれない環境で育った人に対して、結局のところ何も手を差し伸べる必要がないし、社会が変わる必要もありません。ただただ「苦難に負けず、努力してきたあなたはすばらしい」と誉めれば用が済むのです。そして、子ども時代の不遇を乗り越えられない人に対して、「それはただの言い訳だ。あの成功した人を見ろよ、努力で乗り越えてるじゃないか。あなたが弱いのが悪いんだ」と、冷たく言い放つことができるのです。

彼らは知らないのです、努力や根性ではどうにもできない、不遇な子ども時代の影響というのがあることを。努力や根性でどうにかできるはずだ、できないのは自分が弱いからだ、などと思わないでください。

 

子供の頃わたしには誰も味方がいませんでした。

幼い頃「本当の気持ちをわかってくれるのはおまえだけだ」と泣きながら抱きしめていたのはぬいぐるみです。ようするに、誰もいなかったのです。4歳7カ月のとき、「死ぬ」という言葉と意味を知ってすぐ、死にたいと思うようになって、12歳まで、子どもというのはみんな死にたがっていると思っていましたし、人生はそういうものだと思っていました。

幼児期の愛着の効果を調べるために、猿を使った実験で、母親の代わりにぬいぐるみを与えた、というものがあります。母親に育てられた猿と違って、大人になってから凶暴で情緒不安定な一匹狼みたいになったそうですが、分かります、この猿は私です。

 

たぶん、子供の頃に苦労して、その後も苦労し続けている人というのは、相変わらず味方がほとんどいないと感じながら、社会の中でひっそり息を潜めて生きています。

私のブログは、そんな人に向けて書いています。

誰にも助けてもらえないままひたすら我慢してがんばって大人になって、大人になってしまったために、子どもであれば出会えたかもしれない無条件で助けてくれるような人に恵まれる可能性もゼロに近くなって、そのうえ大人としての責任ばかり増えてしまって、自分でどうにかしなくちゃならなくなってしまったけれどもどうしたら良いのかわからないよって人に、ほんの少しでも助けになればと思って書いています。

そしてまた、ACのことを知らない人が読んでも、感覚的には分からなくとも、理屈で理解できるようにと、精一杯わかりやすく書いています。

自分で言うのもなんですが、こんなにわかりやすくACの心情や回復について論理的かつ詳細に説明している本やブログは、世界中どこを探してもほぼないと思います。

 

ACの回復については、いろいろな本が出ていて、あれこれやり方が提案されていて、まるでダイエット本や英語学習教材みたいに商売の種にされている部分も垣間見えますが、回復は、人間が本来持っている学習能力や自己治癒力を生かして生じるもので、奇跡みたいだけど奇跡ではありません。特別なことをする必要ありません。だけど王道もありません。強いて言うなら時間とやる気です。今あなたが生きているということは、回復できるということなのです。

お金を掛けたから回復するわけではありません。他人頼みでも回復ははかどりません。他のすべてのトレーニングと同じく、効果があると知られている、地味で根気の要るやり方で、きちんとすることをこなすことで回復は進みます。優秀な医者であれば優れたアドバイザーにはなれますし表面上の問題に対する応急処置もしてくれるでしょうが、あなたのAC性を根本的に変えることはできません。あなたのAC性は良くも悪くもあなたの人格の一部で、常にあなたと共にあって、外科手術で切り離すことはできないからです。回復は、あなた自身で腹をくくって自分に向き合うことからしかはじまらないのです。

はっきりいって、回復のプロセスは辛いです。辛くない回復というのはありません。いっときの喜びはあっても、基本的に辛い、そういうものなのです。麻酔なしで心の傷をえぐって膿を出し、偏った癖を刈り取り、使わなかった心をリハビリして動くようにして、これまでと180度違う信頼や愛情に基づく生き方を学ぶ、そういう作業だからです。しかし回復しない生き方も、やはり辛いですから「成長痛」「慣れた苦しみ」どちらを選ぶかはあなた次第です。

回復の作業だけでなく、状況もたいていの場合しんどいはずです。子どものときよりも生き方や考え方が硬直的になっていて、しかも社会人をしていると時間もエネルギーも回復に費やせる部分が減っているし、さらにいうと、ACの性格特性を使って仕事をしている場合もあって、生き方を変えることが子供の頃よりもずっと難しくなっているというのに、社会的なフォローは薄くなって、誰もかわいそうだとみてくれず、ぜんぜん自分のせいじゃないのにいろいろな問題を抱え込まされ、しかも自分でどうにかしなくちゃならなくなっているわけです。

私はそんなあなたの味方です。

できるだけ具体的にACの問題や回復への筋道を書いているのも、私よりもちょっとでも楽して早く回復して欲しいと願っているからです。

「死んだ方が絶対に楽だ」と思いながらも、わたしがこれまで死なないできたのは、私のように苦しむ人をできるだけなくしたい、という思いがあったからでもあります。なんかこんな利他的なことばかりいうとうさんくさいですね。私の個人的な動機には、さらにいうと、子ども時代の自分のかたきを取ってやりたい、という思いがあります。わたしはもともとものすごく負けん気が強いのです。ものすごく苦しめられたのに、回復したらそれでおしまい、ただ苦しみが過去になって何も残らないなんて、しゃくじゃないですか。でも、私の回復の経験を役立ててもらえば、苦しんだ甲斐があったってものじゃないですか? 多くのACの回復に寄与することが、わたしにとって最大の復讐なのです。そういう意図もあって、回復のプロセスについてわたしは気付いたことをもれなく書き残していて、18年間でノートは百冊以上、それとは別にパソコンに打ち込んだものもあってこっちは原稿用紙換算で少なくとも2万枚以上は書いています。

回復について広く知ってもらうことだけでなく、本当はもっと社会的にAC性が取り上げられて、予防が進むことを望んでいます。

大病した人やけがした人のなかには、「なってよかった、世界が広がった」みたいことをいう人がいて、ポジティブな生き方の典型としてときどきメディアに取り上げられますが、わたしはACにならずにすめばそれに越したことはなかったと思います。子ども時代の自分を救えるなら、ぜひ救ってやりたいです。予防は治療に勝る、ということです。

だいぶ長くなってしまいましたが、わたしはこんな思いでブログを書いています、という表明でした。