本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第16回 身体感覚の回復

「本当の自分の姿を取り戻しましょう」とか「抑え込んでいた感情を取り戻す」とかいうことは、ACの回復について書かれたどの本に書いてあると思います。

でも、ACは感情だけではなくて身体感覚もかなり無視していると思います。感情と身体感覚ってかなり重なっているものですから、一方を抑圧すればもう一方も押さえ込まれます。例えば「お腹が空いた」という感覚は、身体感覚と感情の両方にまたがってますよね、「疲れた」もそうだし。

感情の抑圧が強くてストレス発散の方法がわからないと、過食とかリストカットとかやってしまう方がいるわけですが、それは身体感覚が麻痺している状態だから、そういう心身への刺激がとても強いことを選択しちゃうってのもあると思います。

というわけで、第8回の記事で「頭と心と体をがばらばらな状態」について書きましたが、今回は「心と体がつながっていくときのこと」をお話します。

 

私は回復するにつれて、感情だけではなくて身体感覚も増していきました。例えば、空腹、満腹の感覚を取り戻すとか、自分が疲れているのが分かるようになるとかも、 実際私が回復するにつれて徐々に獲得していきました。

無視していた身体感覚はじゃあ一体自分のどこにあって、どんなふうに見つけて理解して受け容れたのか、一例を挙げます。

ある時期から、生ぬるいヌメヌメしたなにかが背中にまとわりついてくるような感触があって、これはなんなんだ気持ち悪いと振り払いたかったのがしばらくずっと振り払えなくて(たぶん一カ月以上)、よくよく考えたり悩んだりした結果「どうやらこれは自分の身体だか皮膚の感覚だ」ということに気づいたのでした。

それからも、そのヌメヌメした感覚にはずっと違和感を感じていましたが、もう身体感覚がわかるまで回復してしまったわけで、ACの問題が悪化して身体感覚をまた無視するようなことがない限りなく消えないですから、「なんか慣れないなあ」と思いつつ生活しているうちにいつしか意識しなくなり、慣れてしまったのです。

ACの中には「厚い透明な板を挟んで世界と向き合っている」という感覚をお持ちの方もいると思いますし、わたし自身そうでした。それは、つまり感情&身体感覚が麻痺した状態で生活しているから、というのも大きな要因になっているだと思います(注1)。

 その証しに、ジョギングとかハードに体を動かすことをすると、身体から発される信号が強くなって自分の体が意識されますから「世界との間にある透明な板」の感覚が薄れて生身の人間になった気がしたものでしたから。

 

もう一つ身体感覚の回復の例を挙げます。以前にも書きましたが、私には摂食障害の、主に過食の症状がありました。症状がほぼなくなってからも、長いこと自分の空腹・満腹の感覚は当てにせずに、目分量で必要な食事量を決めていました。だんだんと空腹・満腹の感覚を当てにできるようになりましたが、完全に不安なくこの感覚を当てにして食事ができるようになるまで7年かかりました。ところで、これ以前に、[食事が美味しくなった」というのも回復した身体感覚ですね。過食の症状が寛解してから2、3年してからかな、食べ物を美味しく味わって食べられるようになったのは。そういうこともあります。空腹、満腹の感覚ときには、「ヌメヌメした」みたいなのはなくて、もっと数値的に「今は3割くらいは空腹感を当てにできるな」みたいな感じを抱いていました。

この場合ぼんやり感じる空腹・満腹の身体感覚の回復具合を、数値的にとらえていたのです。回復を一定期間続けてからは、なんとなく回復の尺度が持てるようになったのですが、このときにはそんなふうに数値で感じ取っていたのです。

 

ほんとうに、ACの症状というのはいろいろな形で全身に埋め込まれていて、そのぶん回復というのはいろいろなところで生じたな、とつくづく思います。

なるべく効果的に回復に繋げたり、「自分が回復している」という実感を得て回復へのモチベーションを持ったり、自分の問題のありかを知るためにも、変化を見逃さないようにするのは大事なことだと思っていて、いまも自分の変化に気付いたら、忘れずにメモをして、時間を取ってそれについて考えて、回復に繋げるようにしています。

 

注1)

ただ実際には、こうした身体感覚の麻痺にくわえて、強いネガティブな感情の刺激に慣れている(アドレナリン中毒、自己破壊衝動、とかACの本で言われていることです)ということや、そもそも感情が十分に発達していない、とか、正しいと思われる感情を自分に押しつける、とか、強烈な罪悪感とかも同時に抱えて私は生きていました。

そしてこういうACの問題は一つ一つ順番に出てきてくれることじゃなくて、みんな一緒くたに絡み合って同時に襲いかかってくるものですから、まるきり別個に切り離して考えたり観察することは不可能なので、経験に基づいたACの心身の症状に対する説明はどうしても「これも要因の一つ」という歯切れの悪い説明になってしまいます点をご容赦ください。