本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第22回 落ち込んでない状態に慣れる

このブログの第9回で「気分転換は難しい」、第20回では「回復したくない気持ち」というのを書いてますが、それとも関連するテーマです。

わたしにとって「落ち込んでいない状態に慣れる」ってのは、結構難しい課題でした。

幼い時から「死にたい」と思っていた私の精神状態には、落ち込んでない状態というのがなくて、どうやっても「落ち込んだ気持ち」になろうとしました。

「落ち込んでいる」というのが通常だったので、そうでない状態になろうとすると、反動が起きるのです。ダイエットのリバウンドみたいなもんです。ちょっとでも嬉しかったり、昂揚したりすると、なにかしらで自分を責めてみたり、罪悪感があったり、「くだらない」と感情を押し込めたりして、またすぐ慣れ親しんだ「落ち込んだ気持ち」に自分を追い込みます。やっているそのときは楽しい、ということをする時間を増やしてみても解決しませんでした。自分を落ち込ませようとする反動が強く起きただけです。

落ち込んだ気持ちには、すごく安心感を感じました。全然安心すべきところではないのですが、それが慣れているって事なんですね。慣れって恐ろしいですね。

この課題には、長年意識して付き合ってきています。

そうなんです、回復の課題というのはいろいろな種類があって、集中して一気に取り組むこともあれば(私の場合摂食障害の状態があるていど寛解するまでは、これに集中して取り組みました)、これみたいに問題として認識してから何年も掛けてちょっとずつ取り組む課題(たぶん10年近く取り組んでます)というのもままあります。

最初は、こういう気長に取り組む課題というのがあるのも分からなかったし、集中して取り組んだ方がいい問題とのアプローチの仕方の違いも分からず、一気に集中して取り組んで片付けようとしていたのですが、ただどうやっても上手くいかないので、自然ととりあえず放置されることになって、それでときどき思い出しては状況を把握して、成長に気付いたり、あるいは改めて現在の課題として取り組んでみる、というような今のスタイルになったものです。

ここで言っている「落ち込んでいる状態」というのは、そのときどきの気分というのではなく、気分の基本的な状態がどうなっているかということで、「気分の通奏低音」と私は名付けていました。

これは、表面上の感情はいろいろ波立って動いて移り変わるのですが、その下に横たわっていて常に私と共にある基本的な感情、という感覚です。そういえば、「死にたい」って気持ちもその一つでしたね。川沿いの土地をちょっと掘ると水が湧いてくるみたいに、ちょっと気分が落ち込むとすぐにジャブジャブ湧いて出てくる感情でした。地下水脈みたいですね。

あと、前回使った住宅の例えでいうとこれは、地盤の状態、になります。私は常に地盤沈下した状態(しかもその地盤は緩い)だったので、それを、ちょっとずつ上げていこうとしてきたのです。

(地下水脈だったり地盤だったり、なんか例えが混乱しているようですが、感情の比喩ですんで、どうしても一つでは足りないんです。すみません)

家みたいな建築物を地盤から持ち上げるには、建物の基礎の下に穴を掘って、土台を作って固めてから、あちこちの柱周りにいくつもジャッキを当てたりして、一センチずつ慎重に、家がゆがんだり傾いたりしないようにバランスを見ながら徐々に上げていくと思うんですが、そんな感じで、自分の問題をあちこち掘り下げて、補強したりなんだりしながら、少しずつ手を付けるしかない課題だったわけです。

それで、地盤を掘って土台を作って固める作業が、過去を思い出して書くことだったり、瞑想をすることだったり、自助グループに参加するといった、回復と成長のための作業で、これは同じような事を地道に繰り返す作業です。もう何度も何度も繰り返し書いてますけどね。

そうやって、今では感情の基盤、通奏低音、地下水脈、あるいは地盤沈下の状態が、以前と比べるとすごくマシになって安定していて、自分の心の中に落ち着きを保つことが上手になっていますし、前よりは1mくらい地盤の高い状態が普通になっています。だから、ちょっと地面を掘っただけでは水が湧いてきません。いや、湧いてきませんとかいっても、なにかの拍子ですぐ湧いてきたりするかもしれないので、油断できないんですが(笑)