本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第24回 白黒思考

今回は、ACの性格的な特徴としてよく挙げられる白黒思考について話します。原因はいくつかあると思います。

まずは、強い感情に慣れていることです。恐れとか、怒りとか、そういう強い感情に慣れていて、ささやかな感情に疎い。第11回で、「濃い味付けに慣れている人がなんにでも醤油を掛けてしまうように」というようなことを書きましたが、同様に、強い感情に慣れているために、その強い感情が感じられるところまで物事を極端に推し進めてしまうのです。結果的にこれは、他の人から見ると極端だったりするわけです。「あんなにドバドバ醤油かけたら、普通しょっぱくて食べられないでしょ」みたいな事になってしまう。

次に挙げられるのが、自分の感情を否定するトラウマがあって、それに打ち勝って自分の感情を認めなくてはいけないので、一つ一つの感情が力んだものになってしまい、結果的に白黒思考的な行動として現れる、というものです。

「楽しい」という感情を否定されて育った場合(私ですが)、「否定するトラウマ」に打ち勝って、楽しいっていう感情を認める必要があります。そういうときには、まず、トラウマに打ち勝つだけのエネルギーが必要です。その後にしか、「楽しい」という感情を認められないからです。たとえば「ちょっと楽しい」という感情を認めるのに必要なエネルギーが2であったとしても、トラウマを乗り越えるのには100のエネルギーが必要だったりします。100以上のエネルギーを使ってようやく、エネルギーが2だけ必要な「ちょっと楽しい」という感情にたどり着くために、端から見ると「やたら意気込んで楽しんでるな」ということになるわけです。別の例えを使うと、普通の人が何も持たずにすたすた歩いてたどり着ける感情に、30㎏の「トラウマ」という荷物を背負って歩かざるを得ない、ということでもあります。当人としてはすごく意気込まないとならないので、考え方もそれに合わせて極端になってしまうのです。

そして最後に、感情が未分化、ということが原因になっていることもあると思います。たとえば物事が「好き」であるといっても、そこには、「寝食忘れるくらい好き」から「ひまつぶしとしては好き」というような、幅広い程度があります。また、すごく好きだった物が好きでなくなったり、そんなに好きでなかったものが好きになったり、嫌いだったものが好きになったり、変化もあります。私自身はそういうのがあんまり区別できませんでした。

あまり身近でない感情については、まだ感情が分化していなくて、おおざっぱにしかわからないので、白黒思考的になってしまう、ということです。

たとえば、赤ん坊は自分の感情を表現するのに、快・不快だけで表します。これが感情が未分化だということです。少しずつ感情を発達させていって、嬉しい、楽しい、苦しい、辛い、好き、嫌い、といった区別が付くようになります。そしてさらに、それぞれの感情にもいろいろな程度があって、あるいは「苦しい」と「楽しい」がことによっては一緒に生じたりする、ということが分かるようになるわけです。そういう感情の機微は、感情を使って、受け容れて、成長しないとわからないものです。つまり一定量の経験値が不可欠なものですし、その上、感情が発達しやすい時期を逃してしまうと、その後に発達させるのはなかなか難しいところでもあります。

あとで感情を学ぶ、ということは大人になってから英語を学ぶことの難しさと似た難しさがあります。自然にはなかなか身につかず、文法を学ぶようにかなり自覚的にならないといけませんし、習得にも時間と根気が必要になります。

そういう成長・発達を経ていない場合、赤ん坊とまではいかないにせよ、感情は白黒思考的なものになります。そして、感情が十分に発達していないということは、周りの人の感情もあまり理解したり考慮できないわけですから、これは、端から見ると「子どもっぽい我がまま」に見えたりするわけです。

あとは、極端な自尊心の低さから生じる自己破壊衝動が、「白黒思考」的な思考や行動へと向かうアクセルになることもあります。たとえば「私なんか消えた方が良いんだ」って思いに囚われて自傷するとか。

さらには、「自分は何も達成できない」というネガティブで強いセルフイメージを植え付けられている場合には、このセルフイメージを守るため(あるいは葛藤して打ち勝とうとしたものの結局このセルフイメージから逃れられなかった場合)、出来もしない高い目標を掲げて失敗し「やっぱり自分はなにも達成できないんだ」という、セルフイメージを強化する結論に至るような場合にも、一時は極端な努力をしたりするので、やはり傍目には「白黒思考」的な言動となります。

「白黒思考」という一言で括られしまっていますが、ACの「感情的に極端な方向へ行きたがる」という特徴は、実際にはこうした要因が絡み合って生じているものだと私は考えています。

じゃあどうやって対処すれば良いのかというと、いつもと同じになってしまうのですが、ミーティングに参加したり、自分の言動を振り返って書き出したり、瞑想をすることが基本になります。自分が白黒思考に陥っている、ということを自覚して、それを手離して違う行動や心情を選択するわけですが、内省の能力が育っていないとこれはできません。

またそれにくわえて、「白黒思考」になる一因に、情操教育が足りてないこともあるわけですから、好き嫌いだけではなく、時代を超えて一般的に優れているとされているいろいろな本や小説を読んだり、音楽を聴いたり、美術館に行ったりして、情操教育(あるいは教養教育)を自分に施すことは一定の効果があると思います。というか、私自身はそんなふうに対処してきました。