本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第34回 アダルトチルドレンを「卒業した」とか「元AC」とかいう表現について思うこと

ときどきブログとかで「ACを卒業」や「元AC」という表現を見かけます。

どれだけ回復にとりくんできたのだろうかと興味を持って目を通すと、問題に取り組んで数年程度(3年とかせいぜい5年とか)のことが多いです。

これについて私がどう感じているのかを例えますと、

両親も日本人で日本生まれ日本育ちの人が、渡米して、アメリカに数年住んだだけで、「元日本語ネイティブ」「元日本人」「日本語なんて出てこないし、忘れ去ったわ」とか言い切っちゃっている感じ。

かぶれてますね、だいぶアメリカにかぶれてますね。

でも、中身は絶対追いついてないです。

いや、そのくらい劇的に変わってくれていいんですけど、例外的に変われる人もいるかも知れませんけど、普通は無理ですよ。

数年海外に住んだだけでネイティブ並みにその言語が使えるようになるっていうのは、よほど頭が良くて言語の才を持った人だけです。

そのうえ、たとえ外国語がペラペラになっても母語を忘れるわけじゃないし、それ以前に、外国語を学んでバイリンガルになることはあっても、日本語を母語に持つ人が大人になってから勉強した英語を母語にする(そして日本語を使えなくなる)、なんてことはないのです(ものすごく特殊な健忘やら暗示にかかる、あるいは非常にまれな仕方で脳の言語野を損傷をすることで、そうなる可能性が絶対にないとはいえないですけど)。

そして、ACの問題というのは、「母語」として身についている生き方そのもののことですから、数年で「すっかり解決」なんてことはないはずのものなのです。

そんなわけで、「AC卒業」とか「元AC」とか書いてる人に対しては、「回復に取り組んで前より人生が楽になったんでそういうふうに言いたいのね」くらいに思っています。

でもそうやって、「自分はもう卒業したから大丈夫」と思っていると足を掬われるというのは、自助グループの本にはよく書いてありますし、実際にそういう人を目にしたこともあります。回復への努力を怠ると、残念ながら元に戻ってしまうのです。

私だってACを卒業できるものならしたいけれども、そんなときに思うのが、

「みつごの魂百まで」

って言葉で、がっくりくるけど、事実だなあと思わされます。

性格ぜんぶは変わらなくとも、持っている良い性質を伸ばしたり、悪い性質を使わないことで小さくすることはできるので、そういうふうに考えてあきらめず回復に努めることが大事なんじゃないかなと思っていますし、それで私は成長・回復を実感してきています。