本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第35回 回復のプロセスを旅に例える

回復のプロセスはよく「長い旅」に例えられます。

これについてふと思い付いたことなのですが、旅は旅でも、「アルパインライミング」みたいだなと感じました。

バイクや自動車でのツーリングや、豪華客船でのクルージングでも、観光地への物見遊山でもなく、「アルパインライミング」です。

アルパインライミングと聞いて、それがどんなものかすぐ的確に思い付く人はきっとあまり多くないと思います。

登山の一種ですが、歩くのは整備された一般的な登山道ではなくて、例えば国土地理院地図などを参考にして尾根筋などのなかから行けそうなところを探って進むものだったりします。したがって難易度は高くなりがちで、道中、転んだら即命を失うような危険な箇所ばかりが続くこともあります。ですから、危険箇所ではロープを出して安全を確保することもあるし、雪や氷があればアイゼンやピッケルが必要だったりします。

ともかく、一般的な登山(ハイキング)に比べると、体力・技術的共にずいぶんと高いハードルが課せられます。

私にとって、回復のプロセスは、こういう、アルパインライミング的な厳しい旅路だと、これまでを振り返って思ったのです。

いちおう断っておくと、私の趣味は登山で、アルパインライミングをする人です。

ですから、なんとなくイメージで例えているわけじゃあなくて、どちらもやった上で、実感を持ってそう言っているのです(とかえらそうに言ってみましたがアルパインをはじめて一年も経ってません。でも入門的なバリエーションルートや雪山には行きました)。

 もちろん精神的な活動と肉体的な活動という大きな違いはありますが、それでも似ているところはたくさんあると思うのです。

例えば、すぐに思い付くのが、

「重い荷物を背負って厳しい道を自分の足で歩かなくちゃいけない」

というところです。

荷物はぜんぶ自動車に載せてアクセルを踏めば猛スピードで進んでくれる、なんてことは回復では起こりません。自分の足で一歩一歩進むしかありません。

 登山でも、自分の荷物をなかなか他人に持ってもらうわけにはいきません。なぜなら、ほかのメンバーも同様に、その人なりに、かなり堪える重さの荷物をしょっているからです。重いのは自分だけじゃないのです(雪山テント泊なんてなると、25㎏ぐらい背負うことはざらにあります)。

あとは、安全管理の技術が大事なことや、心の落ち着きが大事とかもそうです。ひとりでやるには限界があって仲間が必要な事や、先ゆくメンバーに教えてもらうこととかもそうです。

「スリップ」すると立て直すのが大変ってことも、似てます。尻を打っていたい思いをするくらいで済めばいいのですが、ときには、深いところまで落っこちて死んでしまう人がいる、ってところも含めてです。

そして、シンプルな「道具」を使いこなすことが大事だという点も、似ています。

登山ではいくら良い道具があっても使いこなせなければただの荷物です。そして、いろいろたくさんの道具を持っていくことは重量増加につながるため避けたいので、ロープやカラビナなどのシンプルな道具を最低限だけ持って、状況に応じて様々に使いこなす必要があります。これは、練習や経験が物を言います。

またこうした道具は、基本的に自動で自分を助けてくれるわけではなく、ただのロープとか金属のわっかとかなので、コントロールするのは自分です(まあ例外としてGPS機器やビーコンがあったりしますけど、これらも自動で助けてくれるわけじゃないですしね)。

自助グループで使う回復の道具も、12のステップや12の伝統、あるいは祈ることや瞑想といった、ごくシンプルなものです。回復においても、これらの道具を、自分の必要であったり精神的な状況に応じて選んで使いこなし、心の平安を保てるようになるには、結構な練習や道のりが必要です。

そして、アルパインライミングに於ける安全確保の技術というのは幾多の失敗の経験から導かれてきたものですが、自助グループの回復のための12のステップや伝統も同様に、幾多の失敗の経験から導かれてきたものです。

 

登山が回復に役立っているということは何度かこのブログでも書いてきていますが、アルパイン・クライミングの在り方そのものが、回復の道のりと似ていているなあと思い、親和性のある活動をしているのだなと理解した次第です。

説明が後になってしまいましたが、12のステップと12の伝統は、AA(アルコホリックアノニマス)で生み出され、多くの自助グループで使われている回復の道具です。経験則でできていて、いろいろな失敗から学び、現在の形になっているそうですが、そういった生まれた経緯は、生みの親の組織であるAAの書籍に載っています。

人生においても(登山においても)、向かう先は人それぞれ様々ですが、回復したり先へ進むために使える道具や技術、経験には、あるていど体系的で汎用性の高い知恵の蓄積があるのです。

だったら使わない手はないじゃないか、と私なんかは思います。車輪の再発明なんてしなくていいわけですから。