本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第39回 感情はいつもすぐ隣にあった

自分の気持ちが分からない(そもそも十分に感情が発達分化していなかった)、認められない状態が長く続いてその影響下で生きてきたわけですが、回復するにつれていくつもの自分の感情と出会いました。

そして、自分の感情と出会ったとき毎回思うのは「なんだ、すぐ隣にあったじゃないか」ということです。感情というのは、遠くに探しに行ったり、突飛なことをして見いだすものではありませんでした。気持ちを落ち着けて、感情に気付く感覚を身に付け、その結果、常に自分と共にあった感情に気付けるようになっていくものでした。

例えるなら、自分の感情を探し求めるというのは、頭にメガネを乗せていながら「メガネ、メガネ、メガネはどこだ・・・」と探しているような状態だったというわけです。

考えてみれば当たり前のことで、だって自分の感情なんですから、自分の意識のすぐ近くあるに決まってるのです。

分かってしまえば「なんだ、こんな近くにずっとあったじゃないか」と思えるのですが、そうやって気づけるようになるのは、簡単じゃありませんでした。できるようになったり、分かるようになってしまえば、なんてことないけど、できるようになるまではできない、わからないことって、けっこうあるじゃないですか? 逆上がりとか、自転車に乗るとか、三平方の定理とか、その他もろもろ。そんな感じです。

ただ、分かってからもその感情に馴染むまでには時間がかかります。取り扱う感情が増えるって、けっこう大変なことです。最初は違和感があるし、見つけた感情があることを当たり前に感じるには、1年くらいかかってきました。意識の中に感情の居場所ができて、自然と表現できるようになったり、他の感情や意識と連動して馴染むには、それくらいかかっています。

また、見つけた感情と折り合いを付けられるようになる、というのはまた別問題として取り組む必要がありますが、これは特にACに限った話ではないことでしょう。感情の赴くままに生きていられるわけじゃないですからね。

感情を見つけるのは、夜にジョギングしている時が多かったです。というか、ほぼいつもそうでした。月明かり程度の明るさの中、川沿いのサイクリングロードを1人で走っていて、唐突に気付くわけです。「あ、あった」とか「あ、これが楽しむって感情だったのか」とかいう具合に(きっと、単調で軽い有酸素運動っていうのが、脳の活性にも効いているからなんでしょう、そのほかにも考え事とか悩み事とかストレスだとか、いろいろなことが、夜のジョギング中に片付いています)。

心の混乱をできるだけ片付けて、落ち着けて、自分の心の小さな声を聞き分けられるようになることが、感情に気付くポイントです。それは心の中に嵐を起こしていたトラウマを片付けて静けさを身に付けるにつれ、容易に聞き取れるようになって、いつのまにか苦も無く当たり前のこととしてできるようになっていたりします。

でも、忘れないようにしているのは、これはわたしにとってまったく当たり前ではなく、意識的で持続的なトレーニングで身に付けた能力であって、注意していないとまた失われる、あるいは後退するものだということです。

いっぽうで、これまで続けてきたように、回復を続けていけば、より自分の心と仲良く、人の心にも配慮でき、思いやりや愛情に基づく生き方ができるようになっていくわけでしょうから、こつこつミーティングに出たり、目新しい感情の変化や回復・成長について気付いたことをノートに書いたりして、回復・成長の機会を自分に設けているわけです。