第47回 戦争の教訓とは
毎年この時期になると、「戦争の記憶を風化させてはいけない」「戦争の悲惨さを忘れてはいけない」ということが各メディアでとりあげられる。
がしかし、なぜか「じゃあ、戦争をおこさないためにどうすればよかったか」ということは、言われない。これが最も大事だと思うのだが、教訓は語られないのだ。
けれどこれは明らかで、「公共の福利や国民の人命より自分の沽券や保身を重んじる政治家(政治屋)を政治の世界から排除する」ということに尽きる。
のさばっている政治屋への忖度なのか、そんな事実が報道されないのである。
特攻隊員の悲惨な死をもたらしたのは、彼らなのである。
敗戦必至の戦争を始めたのは、彼らなのである。
戦争の悲惨さの象徴としてアイコン的によく取り上げられるので一例として特攻隊員としたが、戦争に於ける特攻隊員とは、あなた自身であり、あなたの家族であり、あなたの友人であるのだ。
つまり、教訓はこうだ。
政治家は公共の福利に貢献できる優秀な人間を慎重に選ばなければいけない。
さもないと民衆は犬死にさせられる。
【蛇足的捕捉】
(おいおい、このブログのテーマとそぐわない内容じゃないかと思われた方のための申し訳)
アダルトチルドレンの問題に取り組んである程度回復すると自分の問題だけでなく世の中の不条理にも気付くようになる。一所懸命回復した先に見えてきた世界というのは、かなり問題だらけで酷いものだ、と。
そうした気付きの一例として、書いてみた次第です。
第46回 姉との対決
以下に掲載するのは、2007年4月に私が姉と対決した直後に、その出来事を書き残したものです。
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わたしは、とりわけ意気込みもせず、ただ「さあ、やろう」と思いながら、台所に行くために、二階の自室から出て階段を下りた。
この数分前に、わたしは布団のなかで自分の言うべき言葉を用意していた。
敦子に刺身庖丁で追いかけられたために、わたしは長いことひどく苦しんだこと、とにかくこれを具体的に伝えようと思っていた。
敦子はたぶんわたしがどれほど苦しんだかなんてわかりゃしないだろうが、それでも、敦子がいったいわたしに何をしたのかは、はっきりと敦子に伝える必要があった。わたしが自分の人生を取り戻し、敦子が自分の人生に責任を持つためには。
台所で敦子はひさ子とお喋りしながら昼飯の支度をしていた。わたしは階段を下りきった廊下で立ち止まり、台所の入り口に掛かっているカーテンの前で二人のお喋りがとぎれるのを待っていた。たまたま、ひさ子はすぐに勝手口から裏庭に出ていった。漬け物でも取りに行ったのだろう。
台所には敦子一人となった。わたしはカーテンを払い、廊下より一段低いコンクリート打ちっ放しの土間に脱ぎ散らかしてあるサンダルを履いて台所に入った。台所は玄関からの通り土間でつながっていて土足なのだ。
帰省したときわたしと合うと、いつも敦子は、すぐさま人を馬鹿にしてきた。楽しそうに「引きこもりだ」「ニートだ」とか言うのだ。それが親しさを示す態度だと思っているらしい。
しかし今日は話しかけてくることもなくこちらを見ることもせず、明らかにわたしを避けていた。なにかを予感したのかもしれなかった。
わたしは、前回自分が敦子に話しかけたのはいつだったのか、覚えていなかった。わたしから敦子に話しかけることは、ほとんどなかった。用がなかったし興味もなかった。
背を向けて料理を続ける敦子に、わたしは声をかけた。
「敦子に話しがある」
敦子は面倒くさそうに「なーにー」と答え、一瞬だけチラとこちらを見ると、またすぐわたしに背を向けた。敦子はエビの背わたを竹串で取り除いている。
わたしは、自分の伝えたかったことを、単刀直入に言った。
「俺は小さいときにお前に刺身庖丁で追いかけられたんだ。それから長いこと、毎晩、このまま寝たら殺されるんじゃないかと気が気でない日々を過ごしてすごく苦しんだんだ」
敦子はまたチラリとわたしに顔を向けた。視線は低く、目を合わせないようにしているようだった。敦子は背を向けたまま、不快さを露わにしつつも抑制した口調で早口にまくしたてた。
「だからどうしたの? それがなんだっていうの? 就職を紹介して欲しいの? なにー? 金が欲しいの? 就職先にそう言えばいいでしょ。そう説明して雇ってもらえばいいじゃない。だからなんだっていうのよ。わたし、全然覚えてないし」
「お前が覚えてなくても俺は覚えてる。お前は俺を刺身庖丁で襲ったんだ」
「証拠は? 証拠を見せてよ」
「そんなもん、あるわけないじゃないか」
「じゃあ知らないよ。裁判でも何でもすればいいじゃない。訴えたければ訴えれば。受けて立つよ。お金があるんならさ。どうせもう時効でしょ。そのときに親はいたの? 親は? 親が見張っている責任があるでしょう。親の責任だよ」
「いないよ。お前と俺だけだった。家に二人しかいない時をお前は狙ってやったんだ」
「十四歳以下だったでしょう。親の責任だよ。その年なら保護者の責任だよ。わたしのせいじゃない、親の監督責任だよ」
「十四歳じゃない。俺は九歳でお前は十六歳だった」
「知らないよ。だから何だっていうのよ。そんなことにわたしは全然興味がないんだけど。だからどうだっていうのよ。わたしは全然興味がありません~。それに証拠がないんでしょう、証拠が。証拠がなければやったことにならないんだよ、世の中はそういうふうに動いてるんだよ! わたしがお前を面倒見てやって、育ててやったんじゃないか。親が全然面倒見ないから、わたしが、コタツで寝ているお前を部屋まで運んでやったんだ」
敦子の動揺は明かで、勢いよく話すその内容はめちゃくちゃだった。
「そんなこと全然して欲しくなかったし、全然そんな必要はなかったね」とわたしは言った。
「こたつで寝たら風邪を引くでしょう? それで死なないと思っているの?」と敦子。
「ああ、死なないね。刺身庖丁で刺されたら死ぬけどな。それに、お前になんて布団に運んでもらったことはないね、全然覚えがないし、証拠だってないだろう。お前が言うには、証拠がなけりゃやったことにはならないんだろう」
「しょうこぉ? 証拠だってぇ? そんなの、お前が今生きているってことが証拠だろうが! わたしが面倒をみたからお前は生きているんだ! お前が今そんなことを言うんだったら、ベビーシッター料払え。時給二千円だ!」
「バカが。だったら、俺が苦しんだってことが、お前が刺身庖丁で俺を追いかけたって証拠だ。慰謝料払え。二億円だ」
敦子はわたしの言葉を無視して、無理ないいわけを続けた。
「十六歳で九歳の子どもを育てられるわけないじゃない。子育てっていうのは大変なんだよ。したことがないからお前には分からないんだ」
「刺身庖丁で追いかけることが子育てなんか?」とわたしは聞いた。
「そうだよ」小さな声で敦子は答えた。
「そんなわけねえじゃねえか、バカが! 俺が今突然お前の子どもを刺身庖丁で追いかけたら、気が狂っていると思うだろう! お前はそういうことをやったんだ。気が狂ったことをやったんだよ!」
「だって、お前の家族じゃないじゃないか」
「自分の家族だったらいいのか? 刺身庖丁で追いかけていいんか?」
「わたしだってお父さんにされたんだ。お母さんだってお兄さんに殺され掛けたって言うじゃないか。そんなの普通なんだよ」
「普通のわけねえだろうが!」
「だったらわたしから離れろ」
「はぁ?」
「わたしの包丁が届く範囲から離れろっていってるんだよ。そんなところ入ってきた奴が悪いんだ。包丁が届く範囲に来た奴が悪いんだよ! ほら、いまだってストーブが点いてる、あぶないあぶない。ここに来るんじゃないよ、ほら、ここに包丁がある、あぶないあぶない、近づくんじゃないよ。なにかあってわたしのせいにされたらたまったもんじゃない」
「俺が包丁を持ったお前に近づいたんじゃない。お前が台所から刺身庖丁を持って居間に入ってきて、俺に刃先を向けて『コノヤロー!』って叫びながら突然襲ってきたんだ! ストーブが自然と『お前を焼き殺してやる』って向かってくるか? 包丁が『お前を刺し殺してやる』って突然飛んでくるか? お前が包丁を持って襲ってこなかったら、包丁は俺に襲いかかりはしなかったんだよ!」
甥っ子のソウマがわたしの足下にやって来て、「テツオが悪いんだ、バカバカバカ」と、わたしを責めた。彼は五歳だ。母親の味方をしてしまうのは仕方がない。
わたしは甥っ子に言った。「ソウマには関係ないから、向こうに行ってなよ」
九歳の姪っ子は今から出てこなかった。しかし声は聞こえているだろうし事情もだいたい分かるだろう。二人はたぶん、母親に対する信頼感を多少なりとも失うだろう。
わたしは彼らに嫌な思いをさせたくはなかった。けれどもそれ以上にわたしは自分を救いたかった。
ここで聖人ぶって「自分が我慢していればすべて丸く収まる……」という具合に自分を殉教者に仕立て上げたところで、わたしの人生は楽しくならない。
わたしは他人の悪行を背負って生きる聖人ではなくて、普通の人になりたいのだ。そのためにはここで自分のために戦うしかない。我慢していたって誰も助けてくれはしない。
敦子もソウマに言った。
「あっちに行ってな」
このときひさ子が裏庭から台所に戻ってきて、わたしに言った。
「うるさいよ。そんな大声出して、またその話かい。しつこいよ、テツオは」
わたしは間髪入れずひさ子に言い返した。
「今は、お前と話しているんじゃない! 敦子と話しているんだ! 敦子に言ったのは初めてだ! 敦子に言っているんだ! 敦子がやったことを敦子に言っているんだ。今は、お前は関係ない! 黙ってろ! 口を出すな!」
ひさ子の加勢を得た敦子は、反撃のチャンスとばかりに声にドスをきかせて怒鳴った。
「お前なあ、近所の人がこんな話を聞いてどう思うと思っているんだ! お母さんはここで暮らして行かなくちゃならないんだぞ! 人はなあ、近所の人に生かされているんだよ! 怒鳴り散らしてこんな話をしているのを聞かれたら、どう思われると思っているんだ? お母さんがここに住んでいられなくなるだろうが!」
ひさ子は相槌を打った。「そうだよ、お母さんだって近所の人と仲良く暮らしているんだから」
わたしは、ひさ子が近所の人の悪口を延々とまくし立てることに、小さな頃から辟易していた。昔も今も、近所の人と仲良くつきあってなんていない。それに大声を上げてのケンカなんて、この家では珍しくなかった。昔は毎晩のように、もっとひどいケンカをしていた。二十年近く、ほとんど毎晩ケンカがあったのだ。いまさら近所の人だって驚きはしないだろう。わたしはそんなことを思った。
敦子は続ける。
「お母さんがここに暮らせなくなったら、わたしの家で引き取らなくちゃならないだろう。お前が責任負えるのか! 食わせていけるのかよぉ! あぁ! 自分のやっていることを認識しろよ!」
敦子の言い分を打ち砕くのは簡単だった。
昔から簡単だった。
この家でケンカと言えば、それは口げんかのことだった。女所帯だったからだろう。
女は男より口達者だから口げんかで勝つのは無理というようなことがよく言われるが、わたしは口げんかで簡単に敦子に勝てた。
なぜなら、ケンカになったときには、間違っているのも悪いのも、いつも敦子だったからだ。(わたしは自分が間違ったことをしたときには謝ったし、わざとケンカを仕掛けることもなかったので、争いの原因にはならなかった)ただ、わたしが敦子のことを言い負かしたら、あとでどんな仕返しをされるか分からないので、ケンカではいつも、わざと勝たないようにしていた。負けを認めるわけではないが、勝たなかった。徹底的にやっつけて逆上させてしまったら、本当に刺し殺されるかも知れない。そういうことを本当にやりかねない人間なのだ。刺されるよりは、日頃のケンカで勝たないでいて優越感を持たせておくほうが遙かに良かった。
だから敦子はずっと、自分はテツオより強いのだと、ケンカでテツオに負けることはないのだと思いこんでいたのだろう。ドスをきかせて喋ったら肝っ玉が縮み上がって大人しくなるだろうと、そんな風に考えていて、だからこそいつだって強気な態度でわたしに接していたのだ。
敦子はこのときも、高圧的な、怒りと憎しみに満ちた態度でわたしを気後れさせて全てをごまかそうとしていたが、そんな方法がうまくいくはずない。怒りと憎しみがたぎるこの家で育ったわたしだ。そんな状況には慣れている。
今となっては、わたしは報復を恐れる必要もないし、変に手加減する必要もなかった。
「おばさんのことは心配しているようだけど、俺はどうなるんだ。おい、俺はどうなるんだ、お前に刺身庖丁で追いかけられて、苦しんで、黙っていろというのか! 我慢してろというのか! ふざけるな! おい、自分のやっていることは認識しなくちゃいけないんだろう、そうだよな、俺もそう思うよ。お前が十六歳の時に俺を刺身庖丁で追いかけたってことを近所の人に知られるとひさ子がここに住めなくなるって言うんだろう? それはお前がやったことのせいだろ! 自分のやったことをちゃんと認識しろよ!」
敦子はわたしの言葉に関して何も言い返さない。いや、言い返せなかった。代わりに新たな逃げ口上を求めた。しかしそんなふうにして逃げようとしても無駄なのだった。それは、敦子が自分自身から逃れようとしていたからで、誰だって自分自身からは逃れられやしない。
敦子は、わたしを刺身庖丁で追いかけたことを忘れてなんかいない。忘れようとしていただけだ。見ないようにしていただけだ。それは、自分が刺身庖丁で追いかけられた記憶を呼び起こすし、さらにそれだけでは終わらず、それ以降、やっかいな問題が次々と芋ずる式に出て、今までの人生全てが現実逃避で、ほとんど無意味だったってことを思い知らされる羽目になる。
これは、不都合な記憶をなかったものとして生きてきた、いまの自分の人格を、ほとんど崩壊させることになるのだ。
抑圧された記憶の上に築かれた脆弱で狭量な人格は、一カ所でもヒビが入れば決壊を始め、全ての、過去の不快な記憶が襲いかかってくることになる。それを避けるために、敦子は全てを否定し続けているのだった。
「子どもの時に親にされたことは、親になってから自分の子どもにしてしまうんだ、そういうもんなんだ」と敦子は言った。
敦子は、理不尽な怒りをわたしにぶつけてきたときに比べると遙かに弱々しい声で、理屈めいたことを言い始めた。
敦子が自らの主張のよりどころとしているのは怒りと憎しみの感情だけで、筋道の通った道理ではない。だから怒りと憎しみを放出するときには、その場しのぎのめちゃくちゃなことを言っていても自信たっぷりの態度が取れる。しかし、わたしに脅しが通用しないと分かって今度は理屈で応戦しようとしたので、気弱になってしまったのだ。さすがに、明らかに間違ったはちゃめちゃな自分の主張を完全に信じ込んでいられるほど、敦子はバカじゃなかった。
わたしは敦子に言った。
「だからどうした。俺はお前を刺身庖丁で襲っていない。俺はお前の子どもでもない。それはお前がおやじにされたことだ。俺がお前にしたんじゃない。俺がオヤジにさせたことでもない。俺に責任はない。だがお前が俺を刺身包丁で襲ったことはお前がやったことだ。お前に責任があることだ。だから俺はお前に言っているんだ」
「だったら、旦那に言ってよわたしの旦那に。わたしの旦那に言えばいいじゃない」
「どうしてお前がやったことをわざわざお前の旦那に言わなくちゃならないんだ。俺はお前の旦那なんて全然知らないし、お前の旦那になにかされたわけじゃない」
「だって、わたしの家で責任能力があるのは旦那だけだもん、わたしに言われても知らないよ、旦那に言ってよ」
「お前が十六歳の時にやったことまで旦那のせいにするのか?」
「そうだよ、旦那のせいだよ」
「お前、バカじゃないのか」
「お前なんかいい年して働きもしないで、人のことをどうこう言う権利はないね」
「アルバイトしてるよ」
ひさ子が横やりを入れてきた。「でも家に金を入れてないじゃないか」
敦子は、自活していないということがわたしの弱点だと踏んだのか、執拗にそこを責めてきた。
「仕事もしないで、どうしてそんなことで威張っていられるんだ。働いて生活するってことは大変なんだ! いったいわたしの旦那がどれだけ働いていると思っているんだ! いったい何人使っていると思っているんだ! これまで会社を何日休んだと思っているんだ! えぇ! コラァ! 十年間で二日だぞ! 頭が痛くならなかったら体調が悪くならなかったり日があると思っているのか!」
「そんなの知らないよ。お前の旦那の話だろう。俺はお前の旦那の話なんてしていないよ」
「就職もできないで」
「バカヤロー! 俺はお前らにやられた子どもの頃のことを思い出したことで、健忘になったんだ。夜に一日のことを振り返ろうとしても、十五分前までのことしか思い出せなくなっていたんだ! 頭痛も激しかった! 就職どころじゃない! 俺はこのまま廃人になって死んじゃないかと思ったんだぞ!」
「お前なんかそのまま死ねばよかったのに」と敦子は言った。
ひさ子がわたしに言った。「それは、お前が弱かったからだよ」
ひさ子が敦子の肩を持つ理由は簡単だった。敦子の非を認めてしまえば、自分の非も認めざるをえなくなる。だから全ての責任をわたしおっかぶせてしまおうとしているのだ。要するに、こいつらは(珍しくもない)最低な人間だった。
敦子は、いい逃げ口上だと思ったのか、これまで以上に声を張り上げて威勢よく言った。
「お前の言っていることは恐喝だぞ! 恐喝だ! 警察を呼んだらお前はすぐに捕まるぞ! 今の状況で捕まるのはわたしじゃない、お前だ!」
「俺がいつお前を恐喝したっていうんだ。そんなことはしてないよ。いつ恐喝したんだよ、言ってみろよ。俺はお前がやったことを言っただけだ。お前が俺にやったことを言ってるだけだよ」
敦子は少し間をおいてから自信なさげに言った。
「二億円払えって言ったじゃないか」
「お前が時給二千円払えなんてこと言ったからじゃないか。それは恐喝にならないのか? 刺身庖丁で襲ってそれが子育てだ給料払えなんてほざくベビーシッターなんてのは聞いたことないけどな」
「お前に二億円の価値なんてないよ、知ってるか? 慰謝料はそのときの稼ぎで変わるんだよ。お前今働いてないじゃないか。いったい年収はいくらだ。二億円になんてならないよ」
「今被害を受けたんじゃない。九歳の時だ。そんなときに将来の給料なんて分かるわけないじゃないか!」
「じゃあいったいどうして欲しいんだ。いったいなんだっていうのさ」
「俺はお前がどんな対応をするのか知りたかったんだ。どうせ罪悪感とか良心の呵責とかはちっとも感じていないだろうってことは予想していたけど。だってお前は気が狂っているからな。お前が俺に何をしたのか、お前に知らせておきたかったんだ。ケリを付けるためにな。お前はどう思うんだ。自分のやったことに対して、自分はどうすべきだと思うんだ、言ってみろよ」
「だから何度も言っただろう。全然興味ないね。はいはいだからどうしたの、そんなことは全然興味ありません、はい聞きました、聞きましたよ、それでいいだろうが。それにどこかに怪我でもしたの?」
「怪我なんかするわけないじゃないか。逃げたからな。刺されるまでじっと待ってるバカがあるか!」
「だったらいいじゃないの。何処にも怪我していないんでしょう。だったらいいじゃん。残念だったねえ、怪我でもしてれば証拠になったのにねえ。刺されていれば良かったのにねえ。怪我してないんだったらいいじゃないのよ! それでいいじゃないの!」
「怪我しなければやっていいのか。刺身包丁で襲っていいのか。ああそうか、だったら今俺がお前の首筋に刺身庖丁を突き付けて『おい! てめー、コノヤロー!』ってどやしつけて、お前が俺に何をしたのかよく分からせてやろうか? 怪我しなければいいんだろう、おい」
「警察にでも何でも訴えればいいだろう。裁判すればいいだろう。受けて立つよ。証拠はないんでしょう。えぇ! 警察を呼んで訴えればいいだろうが。お前なんか税金も払ってないクセに。来てくれるわけないだろう!」
「払っているよ。少なくとも消費税は払っているよ」
ひさ子がまた敦子に加勢する。「国民年金だってお前は払っていないだろうに」
「消費税? そのくらいで警察が養えると思ってるのか? 来てくれるわけないだろう!」
「誰だって個人で警察を養ってなんかいないよ、お前だって税金を払っていないだろう」
「払ってるよ。何十万も払っているよ」
「それはお前じゃなくて、お前の旦那が払っているんだろう」
敦子は黙り、それについては言い返せなかった。またなに別のいいわけを考えているのだろうが、わたしは敦子の言葉を待たなかった。敦子は旦那に依存していて、自己という概念から逃避し、自らの行動に関するあらゆる責任を放棄していた。だからこいつに何を言っても無駄だし、こいつが言ったどんな言葉にもこいつは責任を持たないのでこいつからどんな言葉を引き出そうとそこには何の意味もない。それになにより、わたしはもう自分の言うべきことは十二分に言った。
わたしは二階の自室に帰ることにした。敦子はまたなにか、自分の責任を回避するため、自分へのいい訳をわたしに押しつけようとしゃべり出した。わたしはそれを無視し、最後に大声で言った。
「お前は俺を刺身庖丁で襲ったんだ。お前がそれをやったんだ。その責任はお前にある! お前のやったことは、お前に返したぞ!」
わたしは部屋に戻って、布団にもぐった。そして自分に繰り返し言い聞かせた。「よくやった、お前はよくやった、よくやった。よくやった……」
すぐに涙が出てきた。わたしはこのとき、悲しくも苦しく悔しくもなかったし、とりわけ嬉しいわけでもなかった。しかし涙はどんどん出てきた。
その気になればわたしは涙を止めることができた。
小さいころに鍛えたからだ。涙だけではない、一度深呼吸する間に、あらゆる感情を押さえつけて無感情になることができる。一瞬だけ、そうやって感情を抑えようかと考えた。しかしそんな必要はないのだとわたしは思い直した。つい、感情を抑えようとしてしまうのも、子どもの頃に身に付けた癖だった。
わたしは次第に嗚咽を漏らし、身を固くして泣き出した。それでも、今の自分の感情から流れている涙ではなかった。過去の、泣けなかった自分の分、包丁で襲われても、身を守ることで精一杯で自分の感情を認めることができなかった、押さえつけられていた自分の涙だった。怖がることも助けを求めることもできなかった自分のために今の自分が戦ったことで、その当時に流すことのできなかった涙が、今になってあふれてきたのだった。
台所からは、敦子とひさ子の二人がお喋りしている声が聞こえていた。内容までは分からないし、興味もなかった。たぶんまたいつもの、男に優しくするとすぐに勘違いするとか、子育てはこうあるべきだとか、そんなことを、したり顔して二人は話しているのだ。
まったくばかばかしすぎてヘドが出る。こいつらは永遠に変わらないのだろうとわたしは思った。
ともかく、こいつらが変わろうが変わるまいが、わたしはやるべきことをやったのだ。
このときわたしは、いまの自分が、小さな時とまるきり似たような状況にいることに思い当たった。
当時は居間の隣がわたしに当てられた部屋だった。わたしは、居間で暇つぶしに年上の三人の誰かに泣かされては、自分の部屋に戻り、布団に潜って一人で泣き続けていた。四歳から八歳くらいまでは、毎日三度も泣かされていた。小便よりも、涙の量の方が多いと思ったりもした。
どんなに泣いても、わたしを気遣ってくれる人間はおらず「うるさいよ!」と怒鳴られるのが関の山だった。居間では他の家族がテレビを見ていたり、また、ひさ子とその娘たちは台所で談笑していることもよくあった。わたしはずっとそんなふうに、どんなに傷ついても放っておかれていた。それによってわたしがどんな思いをするかということは全く考慮されることなく、憤った家庭のストレス発散のはけ口として扱われていたのだった。
わたしはこう回想したあとで、笑った。
そりゃあ辛いわけだわなあ、と幼い頃の自分の心を思った。人間なかなか成長しないなあ、とも思った。それと同時にわたしは、「なかなか成長しなかったけれども、これでようやくケリを付けたんだ。もうこんな奴らを相手にする必要はない。子どもの頃の再演を続ける必要はないのだ。成長するんだ」と強く思った。
わたしは泣いている間、部屋にクラシック音楽をかけていた。わたしにはときどき、クラシック音楽が必要になる。デリケートな心境になっているとき、クラシック音楽は心を優しく包んでくれる。
これの代わりになるものはない。だから、わたしが生きるためにクラシック音楽は必要なのだ。
十五時からアルバイトの予定が入っていた。わたしは携帯電話で時刻を確認した。十一時四十分だった。十三時半くらいになったらアルバイトに向かう準備を始めなくてはならないが、それまでにはまだ二時間ちかくある。このくらいの落ち込み具合なら、一時間も眠ればだいぶ気分は良くなる。
目覚めてからちゃんと昼食を食べて行けば、とりあえず仕事をこなせないということはないだろ。とはいっても今日は、精一杯大人しくしていよう。集中できないだろうから、小さなミスはするだろう。それは仕方がないとしても、大きな失敗はしないように気をつけよう。
こんなことを思いながら、わたしは携帯電話のカウントダウンタイマー機能を60分にセットし、布団にもぐりなおした。
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第45回 苦しんでも泣いても優しくも強くもならない
ときどき流行歌の歌詞に「泣いた数だけ優しくなる」「強くなる」みたいな趣旨の歌詞が見られるし、それは、美化された苦労話として比較的受け入れられている考え方だと思うのです。
子供の虐待についていうと、子供が苦しんでも泣いても強くも優しくもならないです。
私の場合は、毎晩何回も泣かされて辛い気分になり、何の救いもなかったことから、「人生は辛いことしかない」「早く死にたい」「家族は憎しみの根源だ」といったことを経験的に深く深く学びました。
至極当たり前すぎると思うのですが、優しさを学ぶのは優しくされた経験からです。
嫌な思いをするほど優しくなれるなどというのは、日本語を学ぶほど英語が得意になる、と言っているのと同じでしょう。脂っこい食事をするほど痩せる、とか。
甚だしくばかばかしい主張だって事です。
第44回 子供の幸せを願わない親はそれなりにいる
ストレートに言いますが、「子供の幸せを願わない親なんていない」というクソみたいな神話(というか、ファンタジー)は早くなくなって欲しいです。
物事をよりよい方へ進めようとするなら、現実をきちんと認識して対処する必要があるのですが、この神話(というか、おめでたい考え)はそれを阻んでいます。
現実を踏まえた社会の常識として、親を含めた保護者一般が子供に対して愛情を持つとは限らないし子供の幸せなんて願ってないとか、爪垢ほどは願っていたとしても自分の幸せを圧倒的に優先する人間も珍しくはなく育て方もろくすっぽ考えずとんちんかんなことをやってることはよくある、という認識であって欲しいものです。
つまり、タイトルの通り「子供の幸せを願わない親はそれなりにいる」という考えが常識になって欲しいのです。
そうすればそれを社会制度で補うことだってできるわけです。
具体的には、母子健康手帳や子供の保護者になる人が目を通す必要がある公的な読み物やら配布物に「例えそれが自分の子供であっても、手を挙げるのは犯罪行為です。『躾のため』というのは子供を虐待し暴力を振るう親の典型的な言い訳です」「子供を、ストレスをぶつける対象にしてはいけません。それは虐待です」「あなたがたとえ自分の子供に対して愛情を抱けないとしても自分を責めないでください。そして絶対に相談してください。相談窓口はどこそこです」とか書いとけば良いのにと思います。
保護者側の啓蒙だけではなく子供の頃から学んでいた方が良いですね。「いじめ」についてはたしか道徳で取り上げられていると思うのですが、同様に「家庭の役割と虐待」というテーマも作って教えて欲しいものです。要点を簡潔に記述すれば教科書には1ページぐらいで納まると思うんですよ。
こうした知識が徹底的に広まれば、無駄に虐待されて苦しむ子供がいくらかは減ってよりよい社会になると思うのです。
第43回 安心できる場で内面を表現して、受け入れてもらうこと
「心的外傷と回復」を読んで以来、私はずっと、「回復に際して、言語能力が低いとすごく不利になる」と考えていました。もっというと、言語化できないと回復はできないと思うくらい、回復に言語化は必須と信じていました。以前書いた記事の中でも、言語能力の高さと回復の程度には強い相関がある、ということには触れています。
しかし最近、最相葉月『セラピスト』を読んでその認識が変わりました。
著者が箱庭療法を受けて自身の内面と向き合い成長していく過程を読んで、心に抱いているイメージをなにかしらの方法で表現してこれを理解し受け入れてもらう体験が回復の肝であって、表現の方法は必ずしも言語に拠らなくても良い、ということを理解しました。
それは確かに回復の理屈からしても納得のいくものです。
言葉に限らず、なにがしかの活動(お人形あそびや、絵を描くこと、演劇といったことは該当するでしょう)によって内的なイメージ(トラウマ体験など)を表現するプロセスを通じて脳内でその出来事を再体験している、まさにそのときに安心できる人間関係に触れていれば、記憶の再定着のおりに安心感がすり込まれて結果的にトラウマ記憶が弱まる、という働きは起こってしかるべき生理現象だからです。
そうして考えていくと、つまるところ、「安心感を持って他者に受け入れてもらえるか」ということが、人が回復・成長する必要条件なんだな、と思いました。
本文中にも、クライアントが箱庭なり絵画によって自身の内面を表現しているあいだ、セラピストが心理的にクライアントに寄りそってその場にいることで治療的な働きが生じるもので、その場にいる治療者との相互作用で成り立っている、ということが書かれています。ただクライアントに勝手にやらせて治療者が一方的な解釈をする、というものではない、ということです。
私は、内面の表現といえば「言語」に拠るものだと、特にわたし自身言葉が達者なことも影響しているのか、強く思い込みすぎていたように思います。『内面の表現』は言葉には限らないなんて、ちょっと考えれば当たり前のことなのに思い当たりませんでした。
ただ、箱庭療法や絵画療法で表現された内面を他者が的確に理解するにはどうも相応のトレーニングが必要だったりセンスが問われるようですので、言葉の方が手軽で万人向けかな、とは思います。
本当は、語りによる回復であれ箱庭療法であれ、大人になってわざわざしなくても済むような子供時代を過ごせるのが一番です。
つまり、子供の頃、辛いときや悲しいときに心配して抱きしめてくれるような人がいれば、たいていの場合は、大人になってから「なんとか療法」みたいなことに多大な労力を費やさなくても済むはずなのです。
回復の仕組やら方法について考えると、あとになって問題に対処するというのがいかに面倒くさいことかということにいつも思い当たります。
第42回 「トラウマ」は存在する
でもその主張はナンセンスだ。トラウマというのは、学習や記憶の在り方の一部だ。だから、トラウマが存在しないならば、「脳内において、記憶や学習の仕組みや恐怖の感情は存在しない」ということになる。そんなわけはない。
アドラー心理学が役に立たないとかインチキだとかいうことをいいたいわけじゃない。今も通用する内容もあるのだろうが、なにせ今みたいな脳科学の知見のない時代に考えられたものだから、現在分かっていることに照らしてみると明らかに間違っているものも多分に含まれている、ということだ。
番外編 重度障害者国会議員への批判について
先の選挙で、れいわ新撰組から立候補していた重度障害者のお二人が当選しました。
そしてお二人は、介助がなければ議員活動ができないので必要な補助を認めるよう国に求めました。
この二人の主張に対して、現職の政治家からのものも含め多くの批判が発信されています。
「政治資金もでるし、高給取りになるんだから、ポケットマネーで払え」とか「特別な介助が必要とはけしからん」とかおおっぴらに言う人がいるわけです。
けれど日本では、参議院議員の被選挙権の条件に「日本国民で満30歳以上であること。」ということを掲げていて、お二人はこれに合致しています。であれば、正当な手続きを経て国会議員になったのですから、お二人を受け入れ活躍できるように国会が人なり設備なり制度を整備する、つまり、インフラを整える努力義務があります。
その点、今回国会はお二人を受け入れるために今のところこの努力義務を果たしている様子で、当たり前のことだと思った次第です。
さて、この民主主義国家日本の制度では当然なされるべき配慮を批判する人の言い分のおかしさについて、ちょっと考えてみます。
批判する人たちは、「重度障害者が国会で活動するために必要なインフラは自前で用意しろ」と言っているわけです。なんでかというと「自分には必要ないし、これまで国会議員になった人にも必要なかったインフラだから」いうのがその論拠のようです。実際には、いろいろ違った言い方をしていますが、最終的な言い分はここに着地します。なにしろ、もし以前から十分にインフラが整えられていれば、今回お二人がこのような意見を言う必要もなくスムーズに登院していたでしょうし、今回のように批判がわらわらと湧き起こることもなかったはずだからです。
批判する人たちの理屈でいくと、「俺が行かない県に俺の税金を使って道路を作るな、だって俺は使わないし必要ないから」とか「点字ブロックなんて要らない。俺は使わないし、ほとんどの人にも必要ないだろう。必要な人が自分のポケットマネーを使って整備すればいいだろう」とかいう主張も、出てきます。
この主張の原理は、ものすごく利己的・排他的で民主主義社会とは相容れない考えです。極論すると、彼らの思想信条とは「自分を利する人や物以外は必要ない」と、ただそれだけだからです。まったく思いやりがありません。
それだけでなく、「みんなで支え合って生きる」という、民主主義というか、それ以前の、集団生活をする人間としての基本的な理念とも相容れないような考え方です。
ちょっと話しが大きくなってしまいましたが、れいわ新撰組のお二人が「自分たちが国会議員として働けるようにして欲しい」と求めているのは、それまで「条件を満たし正当な手続きを経れば誰でも国会議員になれる」と約束していながら実際には長年それが実現できない状態であった国会の制度や設備上の不備を明らかにしているだけなので、お二人にまったく非がないのです。ですから、高給取りであろうがなかろうが、ポケットマネーや政党交付金をそこに充てる必要はないのです。
にもかかわらず、障害があることでもってお二人に何か非があるかのように言い立てる人たちは、自分が何を言っているのか理解できていないんじゃないか、日本が民主主義の法治国家であることをまったく理解していないとか、あるいは公私の別が十分についていない、良識や教養に乏しい人なのだろうと思うのですが、そういう人が思いのほか多いみたいで、しかも現職の政治家や名の知れた元政治家がそんな体たらくであることにすごく憤りを感じたので、この記事を書いてみました。
つまり、「批判する人たちの言い分はまったくもって筋違いで、ご自身の醜い心と愚かさを顧みるべきですよ」ということです。