本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第6回 虐待をオープンにする難しさ

セクハラに遭ったことや、自分のセクシャリティをオープンにする活動が社会的に広まっていますが、虐待のことをオープンにするのはまた一段とハードルが高いなと感じています。

基本的に私は自分についてオープンにしたいのですが、原家族に迷惑を掛けたいわけではないのです。インターネットで私が個人名を出すと、もしかして物好きな人がいろいろ探るかも知れないわけです。原家族の人間は、人として好きではないし、関わらないようにしていますが、かといって、個人攻撃を受けるような目に遭って欲しいというわけではありません。

今は特に恨みを感じているわけではないというのもありますが、恨みを晴らすことを生きがいにしたって結局ろくな目に遭わないというのはよく分かっていることです。

でも、だからといって、虐待をした人間に配慮して、社会に虐待やその回復についての啓蒙的な動きをしようすることに歯止めがかかってしまうというのでは、本末転倒だと思います。それにもしかしたら、当人らのためには、自身の言動に見合った社会的な制裁を受けた方がいいのかもしれません。

ですが、私がその切っ掛けを作るのは、気が引けます。そういうことをすると、わたし自身が彼らに感情的に巻き込まれたり、関わらざるを得なくなってしまうことになり、これはあまり私のためにならないという気がしているのです。

難しいところです。