本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第13回 個人的な人間関係を継続させることの難しさ

最初に、個人的な人間関係と社会的な人間関係の区別をしておきます。

学校や会社、お店などでしか合わない人とのつきあいが、社会的な人間関係で、休みに一緒にご飯を食べに行ったり、出かけたり、連絡を取り合ったりするのが、個人的な人間関係です。

そんな個人的な人付き合いができないのは、ACとしては当たり前です。

アダルト・チルドレン―アルコール問題家族で育った子供たち』という良い本があるのですが、この中で著者は「ACの問題は基本的に情報が不足していることにある」と言っています。これは、問題の核心を突いています。

ACは、健康な人間関係で過ごす経験の量が圧倒的に足りていないのです。

わたし自身を例に挙げると、個人的な人間関係というのが存在することがわかりませんでした。例えば、学校を卒業したら、同級生は基本的に赤の他人だと思っていました。反抗期でいきがっていたとかじゃありません。これは、最初からです。

私は保育園に通わされていて、保育士さんにはちゃんと面倒を見てもらっていました(余談ですが、「嘘を吐かない」「陰口や悪口を言わない」といった、一般的な道徳をわたしが身に付けられたのは保育園のおかげです)。

それで、小学校に通うようになってからも、保育園が通学路上にあったため、保母さんと顔を合わすこともあって、声を掛けられたりしたのですが、「もう卒園したから他人なのに、なんで話しかけてくるんだろう」と私は思っていましたし、そう親にも言っていたそうです。

 

私の心は長らく、「ここまでは誰でも踏み込んでOK」というパブリックなところと、「ここからは誰も入れない」というプライベートなところの二つにわかれていて、それ以外の区分はありませんでした。 自分以外は全員他人でした。小学校からの長年の同級生も、今日はじめてあった人も、全員、パブリックなところまでしか関わらせないし、それ以外に人と関わる方法はありませんでした。ちなみに、親や姉は、赤の他人よりも警戒して、自分のことをなおさら知られたくないと思っていました。

心に完全に壁を作っていたのですね。そりゃそうですよ、そうやって親や姉の攻撃から心を守っていたのです。必用は発明の母なり。

それと、実際的にそれで用が済んでいたのです。自分と、他人という区別で十分だったのです。幼い私には、家庭と学校(保育園)という環境の違う二つの場所があり、家庭では自分以外全員敵で憎しみと怒りで関わりあっていて、学校では、保育園で学んだ表面上のコミュニケーションを取ることで人と関わっていたわけです。

私の幼少期の生活には、これ以外の形で私の情緒が受け入れられる環境はほとんどありませんでしたから、そのように育ったわけです。纏足を履かされた足がその形以外に育ちようがないように、私も、環境に合わせた形で情緒を発達させて育ったわけです。たんに、環境を学習して適応したのです。

 

前置きが長くなってしまいましたが、私を含め、ACが個人的な人間関係を築けない理由なら、こんなふうに生育歴をちょっと振り返ればたくさん挙げられます。

・信頼の感情がわからないし、信頼を育てるコミュニケーションのプロセスも知らない

・健康な人間関係を知らない

・人や自分を傷つける衝動が強い

・支配する・されるの人間関係が染みついている etc...

ACの本を読めば、もっと詳しく載っているでしょう。

ひとつひとつトラウマやら混乱したコミュニケーション方法を自覚して片付けていく必要もあるのですが、今回のメーンの話はこれら問題についてではなく、継続的な人間関係を保つトレーニングをどうやったかに焦点を当ててお話しします。継続的なトレーニングでわたしはコミュニケーション能力を身に付けたし、むりなく個人的な人間関係を持つ、ということができるようになっていったのです。

とくに秘密や秘訣はありませんが、大人になってから、子供のころ身に付けられなかった情緒を身に付けるというのは、本当に大変です。

私は自助グループにもう長く通っています。最低でも週一回、十年以上通っているのですが、これがわたしにとって最大の「個人的で健康的な人間関係を築き、継続させる練習」です。とくに秘密や秘訣はありません。

それで、わたしが苦痛なく、共通の趣味を通じた個人的な友達ができて、気兼ねなく遊べるようになったのは、去年のことです。もし子供の頃から私みたいにぜんぜん私的な人間関係の感覚がなかったとなると、私以外の方も、きっとすごく時間と手間がかかるはずです。 時間がかかる理由として、人付き合いのことだけでなく、楽しむことへの罪悪感を減らすとか、くつろぐ感覚を知るとか、そういうことも含まれているからなのですが、いずれにせよすごく手間がかかるはずです。

 

個人的な人間関係を継続させられるようになるには、実際に無理ない範囲で人間関係を継続させる経験を自分にさせるのがいいのです。でも安全にそういうことができる場は、社会にはなかなかありません。自助グループは、それができる貴重な場所だと思います。

グループへの参加を続ける中で、自分の問題や成長に気付いたり、人付き合いでの苦手なことを練習したり、役割を持って責任を果たしたりして、コミュニケーション能力を磨いていきました。継続は力なり、です。

特別なことではなく、グループに来た人に挨拶をしたり、自助グループにはじめてきた方に説明をしたり、ちょっとした雑談をしたり(といってもACにとってこういうことをするのは心理的に簡単じゃないと思いますが)。とにかく自助グループの比較的おだやかな人間関係の中で他人と時間を過ごすわけです。

泳げるようになるためには、いきなり荒れた日本海に飛び込むのではなく、まず近所のプールに行って下手でもいいから泳いでみるってのが必要です。そういう練習を、自助グループではやりやすいです。グループ内のマナーに従う必要はありますが、それでも一般社会よりもずっとずっと、失敗したときのリスクや責任は少ないです。かなり安全に小さな失敗を積み重ね、経験を積んで学んでいけるわけです。

 

わたしは「組織」や「人」への不信感が強くて、自助グループになかなか通う気にならなかったのですが、コミュニケーションを変えるには、問題を理解するだけではなくて、実際に人とコミュニケーションしないことには練習にならないし成長しない、ということが、一年以上の引きこもり生活でやっとわかって、腹をくくって通うようになりました。野球のルールブックやトレーニング理論を学んでも、ボールを投げたり、バットを持って振らないことには、野球はできるようにならないのですよ。

ACの回復についての良い本を買って読んで理解が深まったとしても、生き方を変えて知識を実践できるようになるまでにはきっと長い期間がかかります。

 

「三つ子の魂百まで」と言われる性格を変えるのは、容易じゃないです。下りのエスカレーターを登る、というような表現もされますが、回復には常にそういう面があります。

 週に一回、月に一回のカウンセリングとかじゃあ、全然少ないです。そもそも「お客様」では、個人的な人間関係の練習にはならないでしょう。

 

わたしはミーティングに週5日通っていた時期もあるし、とにかく熱心に通っていましたし、いまも通っています。自助グループは常に実践の場です。また、カウンセリングと違って、たいしてお金はかかりません。

しかも、ミーティングにくるような人はみんな人付き合いが苦手です。自分だけじゃありません。苦手な人しか、基本いません。だから気が楽です。自助グループはそういう、自分を安全に育て直せる場としての機能を果たしています。

わたし自身が利用していて勝手が分かっているので自助グループをお勧めしていますが、人間関係を練習するのは必ずしも自助グループでなくてもいいと思ってはいます。ただ組織のそもそもの存在理由が私みたいなACの人のためであるので、他の組織に比べたら圧倒的に続けやすい、学びやすいと思います。というか、他の例えば趣味の集まりではやはり「社会的な人間関係」のコミュニケーションを使うだけになってしまい、個人的な人間関係の練習はできないのじゃないかと思います。

すごく個人的な体験を話す場である、自助グループでの人付き合いというのは、個人的な人間関係(すごくプライベートな経験を知っている者同士である)と社会的な人間関係(自助グループという仕組みの中で関係性が保たれている)の両方の要素を持っていますので、両方の練習になります。ですから、基本的に自助グループはお勧めです。

 

 

健康的で継続的な人間関係を築けるようになるには、安全に人間関係の練習ができる機会を自分に与えてそれを続けるといいよ、というなんとも当たり前のことを言っているのです。「英会話ができるようになるには、片言でもいいから誰かと英語でしゃべる練習をするのが効果的だよ!」って感じですね。

にもかかわらず、ACの問題は「取り除ければOK」的なトラウマとけっこう混同されていたり、あるいは治療で生じた気付きによる一時のカタルシスで問題がすべて氷解、解決したみたいな書かれ方をAC向けの本でされていたりするのですが(そりゃ、病室の外の患者の実生活なんて医者は見ているわけじゃないからね)、それでははっきり言ってまったくもって不十分です。

例えば、摂食障害の原因として、ほかにストレス発散方法を持っていないためであると気付いても、他のストレス発散方法が身につくまでは摂食障害に頼るしかないのです。思いやりを表現するコミュニケーション方法を自分が持っていないと気付いても、コミュニケーション方法を学んで練習して身に付けるまでは、やっぱりできないままなのです。そしてそれは医者との面談だけでどうにかできるものじゃあないのです。

だから、ACが成長・回復を本当にモノにするには、日々のトレーニングが大事なのです。そのためには、毎日の生活に回復のプロセスを組み込むことが欠かせません。ACの回復というのは、生活習慣病への対処みたいなもんだと思うとわかりやすいかもしれません。

 

こういう、コミュニケーションの技術や経験不足からくる問題への対処方法として実践的なトレーニングの機会を積極的に設ける重要性にはあまり目が向けられていないと思って、今回の内容を書いてみました。

 回復のために日々取り組むこととしては瞑想とかがあるわけですが、日々のルーチンについてはまたあとで書きます。