本人目線の、アダルトチルドレンの成長と回復 How did I recover from adult children scientifically

AC(アダルトチルドレン)の私が、自助グループで話しているようなこと(そのまま同じじゃないです)を、お伝えします。

第17回 「イノセントな子ども時代」や「甘酸っぱい青春」はほとんどないけれども生きてます。

私にはイノセントな子ども時代というものはありません。

あるいは、純粋に[死にたがっていた」のがイノセントさと言えなくもありませんが、そんなふうにいってもあまり意味はないでしょう。「イノセント」には、「何に思い悩むこともない幸福な子ども時代」というニュアンスが込められていて、ともかく私にはそのようなものはないからです。

なにしろ、4歳8カ月から死にたいと思っていたわけですし、それ以前からもう「辛い」から、そう思うに至ったわけです。

幼少期だけじゃありません。小説や映画で、青春ものってあるじゃないですか?

友達とちょっとした冒険をして成長するという物語。さまざまなパターンで、あらゆるメディアで描かれるストーリーです。それも、私にはあまり該当しません。

ACの場合、たいがい、そう都合よく順を追って人生の困難に挑むことはできません。人生始まった瞬間にいきなり大冒険です。どう考えても能力を超えた状況を生き延びなくちゃいけないのです。

ロールプレイングゲームで例えると、ゲームが始まった瞬間にラスボスと対決って状況なのです。リセットボタンはありません、中断できません。いわばクソゲーですね、そんなの。でも、それが私の育った環境です。泣いても叫いても叫んでも、だれも助けてくれません。

私は、「今の年齢で家族を殺したら、保護観察になって、前科も付かなくて少年院も入らなくて済むかな」とか「どうすれば苦しまないで死ねるか」とか調べてた子どもで、初恋より前に、家族みんな死ねばいいのにと小学生の頃に願っていた人間です。「皆死んで、ただただ金さえあれば、もっと楽しく元気に一人で生きていけるのに」と考えていました。

(こういう気持ちだけをピックアップするとすごく無慈悲な子みたいですが、私は陰口とかいわないし、虫も安易に殺さないような人間です。クラスでのいじめに加担したりもしませんでした。ぐれたりしたこともありません。つまり、家族に精神的に追い詰められいて、危害を加えられていたので、自己防衛本能で「死ねばいいのに」と思っていたのです。自分に害を与えない人に対して強い憎しみを抱く、ということはありませんでした)

キラキラした子ども時代なんて、ありません。青春時代だって、トラウマとの葛藤でほとんどが費やされました。

どれだけ回復しても、過去が変わるわけじゃありません。相変わらずです。基本的に、死にたかった子ども時代しかありません。それが私の人生です。

回復を始めたばかりのころ、自分の子ども時代が自動的にいろいろ思い出されてとても辛かったものです。子どもを気遣う親の姿を見ると、自分がいかに蔑ろにされていたのかを思って涙が出ました。小さい子どもを見ると、「この子くらいのときに、私はもう人生に絶望して死にたがっていたのか」と、本当に我が身がかわいそうでした。くよくよしないなんて無理です。

もしかして、「それは自己憐憫でよくない」と思う方もいるかもしれませんが、もしそれが私以外の子どもであっても、4歳で死にたいと思ってしまうような家庭で育つ子どもに私はやはり「ものすごくかわいそうだ」と感じます。別に自分が世界で一番かわいそうだと思っているわけじゃありません。不幸な子どもは沢山いて、そのうちの一人として、やはりかわいそうだ、と思うのです。私にはこれは、ごくまっとうな感覚に思えます。

 

さて、子ども時代に手に入らなかったものを私がほとんど嘆かなくなったのは、結局、別の方法でそれを獲得してからです。

それには、子供の頃に手にいれられなかったさまざまな情操の成長を、子供の頃とは違った方法で獲得していく必要がありましたし、同時に、トラウマを片付ける必要がありました。

私は、わたしのような順序で精神的な成長をしてきた人間というのは、ぜんぜん社会で理解される文脈を獲得していないと感じています。近年、同性愛の人とか社会的な理解を獲得してきつつありますが、それ以上に、社会的に居場所がないと感じています。別に悪いことをしたわけじゃないのですが、まるで自分が悪いことをしたかのように、自分の過去に負い目を感じているのです。それは、トラウマがどうこうというよりむしろ、「人と違っている」ことへの引け目であったり、虐待を受けて育った子どもが大人になった状況への社会的な無関心・無理解から生じているように思います。

例えばACのことを語り、どう考えたって他の大多数よりは問題意識の高い児童虐待の専門家ですら、被虐待児の「子ども時代」しか見ていません。一人の人間の人生全体を通じた回復や成長の過程という視野を持っていません。でも、実際当人が向き合うのは、人生全体を通して自分の被虐待の経験と折り合いを付けて生きていくという事なのです。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、専門家やっているのはたぶんそういうことです。無駄だ、ということではないのですが、なにがしか成長の効果が見込めるのはかなり限定的にならざるを得ません。あるいはそれが「専門領域」ということなのですから、「物足りない」なんていってもしょうがないのでしょう。またここが、わたし自身と専門家と言われる人たちとの問題意識の違いを感じる部分でもあると思います。彼らにとっては「子ども時代」だけに強い関心を持っていて、その後どうなっても「仕方がない」ことなのです。当人にとっては、そうじゃありません。仕方がない、とはいきません。なにしろ、人生は死ぬまで続いてしまうのですから。

児童虐待の影響やその回復の必要性や可能性への理解や研究がもっと幅広い年代に対して行われて欲しいし、それだけのことをやる意義はある大きな問題なんじゃないかと、私は思っているのです。たぶん世界中で毎年何万だか十何万だか、統計的なものはよくわからないけれども、もの凄い数の子どもが虐待を受けて育っていることは事実で、そのうち専門的な治療を受けられる子どもというのはほんの一握りで、それって生活習慣病に罹患しているのに全く治療を受けないで生涯を過ごすのと同じくらいのリスクを負っていると思うからです。欝の発生率や自殺率は被虐待児なんて明らかに高いわけですから。

第16回 身体感覚の回復

「本当の自分の姿を取り戻しましょう」とか「抑え込んでいた感情を取り戻す」とかいうことは、ACの回復について書かれたどの本に書いてあると思います。

でも、ACは感情だけではなくて身体感覚もかなり無視していると思います。感情と身体感覚ってかなり重なっているものですから、一方を抑圧すればもう一方も押さえ込まれます。例えば「お腹が空いた」という感覚は、身体感覚と感情の両方にまたがってますよね、「疲れた」もそうだし。

感情の抑圧が強くてストレス発散の方法がわからないと、過食とかリストカットとかやってしまう方がいるわけですが、それは身体感覚が麻痺している状態だから、そういう心身への刺激がとても強いことを選択しちゃうってのもあると思います。

というわけで、第8回の記事で「頭と心と体をがばらばらな状態」について書きましたが、今回は「心と体がつながっていくときのこと」をお話します。

 

私は回復するにつれて、感情だけではなくて身体感覚も増していきました。例えば、空腹、満腹の感覚を取り戻すとか、自分が疲れているのが分かるようになるとかも、 実際私が回復するにつれて徐々に獲得していきました。

無視していた身体感覚はじゃあ一体自分のどこにあって、どんなふうに見つけて理解して受け容れたのか、一例を挙げます。

ある時期から、生ぬるいヌメヌメしたなにかが背中にまとわりついてくるような感触があって、これはなんなんだ気持ち悪いと振り払いたかったのがしばらくずっと振り払えなくて(たぶん一カ月以上)、よくよく考えたり悩んだりした結果「どうやらこれは自分の身体だか皮膚の感覚だ」ということに気づいたのでした。

それからも、そのヌメヌメした感覚にはずっと違和感を感じていましたが、もう身体感覚がわかるまで回復してしまったわけで、ACの問題が悪化して身体感覚をまた無視するようなことがない限りなく消えないですから、「なんか慣れないなあ」と思いつつ生活しているうちにいつしか意識しなくなり、慣れてしまったのです。

ACの中には「厚い透明な板を挟んで世界と向き合っている」という感覚をお持ちの方もいると思いますし、わたし自身そうでした。それは、つまり感情&身体感覚が麻痺した状態で生活しているから、というのも大きな要因になっているだと思います(注1)。

 その証しに、ジョギングとかハードに体を動かすことをすると、身体から発される信号が強くなって自分の体が意識されますから「世界との間にある透明な板」の感覚が薄れて生身の人間になった気がしたものでしたから。

 

もう一つ身体感覚の回復の例を挙げます。以前にも書きましたが、私には摂食障害の、主に過食の症状がありました。症状がほぼなくなってからも、長いこと自分の空腹・満腹の感覚は当てにせずに、目分量で必要な食事量を決めていました。だんだんと空腹・満腹の感覚を当てにできるようになりましたが、完全に不安なくこの感覚を当てにして食事ができるようになるまで7年かかりました。ところで、これ以前に、[食事が美味しくなった」というのも回復した身体感覚ですね。過食の症状が寛解してから2、3年してからかな、食べ物を美味しく味わって食べられるようになったのは。そういうこともあります。空腹、満腹の感覚ときには、「ヌメヌメした」みたいなのはなくて、もっと数値的に「今は3割くらいは空腹感を当てにできるな」みたいな感じを抱いていました。

この場合ぼんやり感じる空腹・満腹の身体感覚の回復具合を、数値的にとらえていたのです。回復を一定期間続けてからは、なんとなく回復の尺度が持てるようになったのですが、このときにはそんなふうに数値で感じ取っていたのです。

 

ほんとうに、ACの症状というのはいろいろな形で全身に埋め込まれていて、そのぶん回復というのはいろいろなところで生じたな、とつくづく思います。

なるべく効果的に回復に繋げたり、「自分が回復している」という実感を得て回復へのモチベーションを持ったり、自分の問題のありかを知るためにも、変化を見逃さないようにするのは大事なことだと思っていて、いまも自分の変化に気付いたら、忘れずにメモをして、時間を取ってそれについて考えて、回復に繋げるようにしています。

 

注1)

ただ実際には、こうした身体感覚の麻痺にくわえて、強いネガティブな感情の刺激に慣れている(アドレナリン中毒、自己破壊衝動、とかACの本で言われていることです)ということや、そもそも感情が十分に発達していない、とか、正しいと思われる感情を自分に押しつける、とか、強烈な罪悪感とかも同時に抱えて私は生きていました。

そしてこういうACの問題は一つ一つ順番に出てきてくれることじゃなくて、みんな一緒くたに絡み合って同時に襲いかかってくるものですから、まるきり別個に切り離して考えたり観察することは不可能なので、経験に基づいたACの心身の症状に対する説明はどうしても「これも要因の一つ」という歯切れの悪い説明になってしまいます点をご容赦ください。

第15回 自己評価

ACの「自己評価」というと、「低くて問題だ」とされることが多いように思います。「高けりゃいいのか」というとそれも違う気がします。じゃあ一体どういうのが自己評価として妥当なのかというと、あんまり示されていないような気がしていたので、わたし自身がどんなふうに「自己評価」というものを理解しているのかを紹介します。

健康な人の場合、自己評価は成長して大人になるにつれて自分でできるようになる、ということがたしか自助グループの本に書いてありました、あるいはアダルトチルドレンの本だったかな。実際そうだと思います。わたし自身だんだんそういうことができるようになっていて、成長を感じているからです。

私の場合、以前は自己評価というと、ほとんどの場合、自分を貶すことしかできませんでした。自分の能力や特性というのを考慮して判断することはまったくできなかったのです。「こうあるべきだ」という理想だけを自分に押しつけ、その結果ただただ自分に厳しく自分を叱るだけでした。その後、自分を褒める練習をした結果、「俺、スゴイ」とやたらに自分をスゴイと思うようにもなったけれども、でもこの無根拠の「俺スゴイ」はやっぱり自分を混乱させるだけだった気がしています。

現在は全く違うやり方で自己評価を行っています。
例えば、わたしは登山が趣味なのですが、重さ10キロのザックを担いで自分は一日にどのくらいの距離をどのくらいのペースで歩けるのか、ということの見当がつけられます。これは、登山の計画を立てるときに分かっている必要があることなのです。能力を遙かに上回るような計画を立ててしまうと怪我や遭難につながるからです。あんまり簡単だとつまらないですし。今のわたしが行う自己評価というのは、こういう具体的なものです。実際的な能力の把握を「自己評価」と呼んでいるわけです。

いつでもこういう経験に裏付けされたしっかりとした自己評価が出来るわけじゃないけれど、意味のある自己評価というのはこういうものだと理解していて、自分を評価する時にはこういうものに近づけようと意識しています。たんに「俺はスゴイ」とか「俺はだめだ」と酔いしれることは、自己評価とは言いがたい、いっときの気分なのです。

自己評価というのは、目標とかに対して「今の自分はどれだけの能力を持っていて、達成にはどのくらい足りないのか」ということを知るための目安であって、「いい」「わるい」というだけの単純なものではありません。

 まあ、いまだって「俺はすごい」とか「くそだ」とか感情的になって囚われて身動きできなくなることはあるけれど、かなり切り換えられるようになっています。それは瞑想の効果だと実感しています。毎朝30分くらい朝に瞑想をしていることで、落ち着いた気分の自分というものを強化して、一時混乱しても落ち着いた自分に戻りやすくなっているのでしょう。「そういうこともあるよね」とか「嘆いてもクソのたしにもなんねーな」とか思って、落ち着きます。

さて、私が自分の回復をどう評価しているかというと、以前のわたしは、「自分以外全員敵」という感じ方を拭えなかったし、人と打ち解けるなんて出来なかったし、そういう精神状態がそもそも存在しませんでした。でも今は友人と遊んだり、思いやりや気遣いで人と関わることができています。180度生き方が変わっていて、そうなりたかった方向に向かっているし、こうした人間関係を築くことが自分にとってひどい負担になってなにか依存物に手を出すとか精神的に不安定になるということもなく、まるで普通のことのようになっています。それはこれまで回復に努めてきたことが方向性として間違っていないということなんだと思っています。これが私の、回復について現状での自己評価です。

こういう自己評価はとても大事だと思います。方向がおかしかったら修正する必要も出てくるし、「自分はこれで本当に大丈夫だろうか?」と疑問を抱いたら、それについて知人や医者に尋ねることもあります。

そんなわけで、ちゃんとした自己評価というのは自分の現状を知る上で役立つものなのです。ただ、自分で自分をきちんと評価するというのは誰にとってもかなり難しく、ACであればなおさらで、自分以外の評価軸に頼る必要もあります。また、わたしはACとしての偏った評価軸以外の評価軸を自分の中に創るために、たくさん小説を読んだり、心理学やらアダルトチルドレンについての本を読んだり、それもかなり専門的で信頼が置けると思える本を読んで、自分のことを正直に書いたり話したりすることにも努めて、自分の現状を把握するようにしてきました。

現状を把握することで、回復へのモチベーションを維持しやすかったり、漠然としている回復の筋道というのがある程度把握できてきます。自分が歩いてきた道を見通すと、なんとなくこれから先にある課題も見えてくるわけです。「ACとして残っている課題はこれだな」という具合に。自分なりの回復の地図が持てるわけです。それはとても心強いです。

第14回 回復における理想と現実

たぶん、回復のための努力を始めて、多少なりとも自分の成長や変化を感じたことがある人はみんなこいうことを実感していると思います。

「ちょっとでも油断していると、まったく問題は片付かない」「もの凄い努力をして、ちょっと成長したと思って油断したら、すぐに元に戻ってしまった」

 

そもそも、結構長い期間(年単位)で、腹をくくって回復のために費やさないと、ちょっとした回復すら感じられないようです。「しぶしぶ」「とりあえず」というスタンスで取り組んでいる人からは、「何年も続けていても、ぜんぜん効果が感じられない」と、よく聞きます。

 

自助グループで回復を実感しているという話が聞ける人というのは、一定期間(一年以上)「全身全霊で回復することにしがみつく」という生活を続けていて、その後もコンスタントに回復に対して時間とエネルギーを注いでいる人たちです。

 

普通に考えれば、回復というのはつまりもう一回人生を生き直すようなことが求められているわけですから、ものすごくたいへんだと想像できそうなものですけど、なぜかそういうふうな理解のされ方をしていない気がします。

 

例えばインナーチャイルドを育てるとかいうことが言われますけど、実際の子育てというのは一生でも一、二を争う大仕事で成人するまで20年もかかるわけじゃないですか? それをするというのはつまり、混乱をかかえて自分の感情がわからないしPTSDを患った状態で大人としての日常を送りながら、傷心の子どもを育てなくちゃいけないわけです。困難だと思いませんか?

 

わたし自身かなり熱心に回復に取り組んで18年かかってやっと「ああ、大人になったんだな」と感じたところです。また、長らく感じていたのは、回復のプロセスというのは、麻酔なしで自分の腹をかっさばいて悪いところを切ったり縫ったり、あるいは移植手術をしたり、つらい思いをしながら(これはトラウマへの対処)、そのいっぽうで、自分の子供心に目を遣って育てていくというウルトラCをやってのけている、という認識でした。

 

ACの回復の本というのは、すごくおおざっぱにいうと「自分を理解して、受け入れてあげて、本当の姿を取り戻しましょう」みたいな、ファジーな表現がされています。

しかし実際に回復に取り組む生活がどういうものなのかというと、多少の差はあれど、取り組みはじめたばかりのころは、誰にとってもしんどい、ひどい期間となるはずです。

 

例えば、生きることへの猛烈な不安に駆られながら目ざめて、自分にとって思い出したくない出来事を吐き気と頭痛をもよおしながら(あるいは泣いたり叫んだりしたり、死んだ方がマシだとか死にたいという気分に駆られながら)気合いで書く、なんだかわからないけど祈ってみる、効果があるのかどうか実感の湧かないミーティングに毎日のように通って憂鬱な顔で暗い話をする人ばかりの中で自分もまた辛い暗い話しかできないからそれを話してくる(でもなぜか少し気が楽になる)、いっぽうで毎日の感情的な混乱は相変わらずでそれに耐えながら生活を続けなくちゃいけない。お先真っ暗な気持にずっぽし飲み込まれそうになりながらも、「このまま死ぬか、死に物狂いで回復するか」と背水の陣の気持で必死の抵抗を続ける、というような感じです。

 

私がこのブログで回復の原理について書いたのは、「なんだかわからないけど精一杯やらないとどうにもできない」という回復のプロセスについて「なんだかわからないけど」というところの、心理的な負担を減らすことにつながって欲しいし、回復できることを信じて欲しい」と思ってるからですが、「精一杯やらないとどうにもならない」という部分は、変わりません。

 

特に回復において「生き方を変える」という側面は自分の限界を押し上げることそのものですから、そのときの精一杯を振り絞らなければ、その先には進めません。筋トレみたいなものと考えると理解しやすいと思います。記録を伸ばすには、その時なりの全力を振り絞る必要があります。さぼると筋肉は落ちるけれど、きちんとトレーニングを続けると、ある日、これまでより重いものがあげられたり、長い時間動けたりするようになりますし、またあまり無理をするとケガをします。そういうところがよく似ています。

 

さて、じゃあその間お医者さんが何をしているのかというと、私たちがやっている決死のロッククライミングを、下から見て「こっちの方がルートが良いぞ」「そっちの方が手掛かりが良さそうだぞ」「ルートは右だ」とか言ってるわけです。それはそれで有用なアドバイスなんですけど(もちろんアドバイスが有用なのは医者が有能な人の場合に限りますし、あとは相性もあることなので、ぜんぜん見当違いなことをいう人だっているでしょう)、こっちが必死で岩にしがみついてるその恐怖感とか、安全地帯にいる医者にはほとんどありません。

 

いっぽうで当事者のこっちは、落ちたら死ぬと思って必死です。わたしはACの回復の本を読むと、いつもそのギャップを感じます。「簡単そうに言うなあ」と思うわけです。やる方は、大変なんです。まさしく「言うは易く行うは難し」です。

実際、ときどき力尽きて落っこちてしまう人もいます。

 

ACの回復に関する本で取り上げられているのを私は目にしたことはありませんが、現実には、自殺してしまう人はいます。自助グループに通って医者にもかかってその人なりに精一杯問題に取り組んでいてもいても、耐えきれなくなって自ら命を絶ってしまう人はいます。また、現実には、誰にも苦しみを話せず、そもそも自分がどうして苦しんでいるのかわからないまま、抱え込んで死んでしまう人というのも、けっこういるはずなのです。

 

本の中では回復の成功例や「こうすればいいのです」ということだけが取り上げられますが、ぜったいにそんなみんながみんなうまくいくはずがありません。著者のクライアントの中には自ら命を絶った人もいたことでしょうが、それでは著者にとって都合が悪いからでしょう、ぜったいに書いていません。この、「死人が出ているのに隠す」という姿勢は、私はACの問題を社会に過小評価させる要因になっていると思います。

 

児童虐待となると結構大きく社会問題として取り上げられますが、子供の頃に救われなかった被虐待児が、そのせいで大人になって苦しんでいても、社会的なサポートの重要性はずっと低く見積もられます。実際には、子どものときよりも回復は困難になっているのに、です。そのため本人も、自分だけでどうにかしようとしてしまいます。もちろん本人が主体的に取り組む必要はあります。でも、当然ながらサポートがあった方が回復は早いし、実際の所なんらかの社会的なサポートは欠かせないのです。

 

ACの問題にからんで、同時に何かの精神疾患(それも複数)を患っている人もたくさんいます。だから、ACからの回復だけにフォーカスを当てれば良いわけでもなかったりします。私も摂食障害の症状にまずフォーカスを当てて取り組む必要がありました。回復のプロセスとして過去のことを思い出すというのはとてもストレスが高いものですから、摂食障害の症状が強く出ている時には症状の悪化が予想されますので、まったくお勧めできません。そんな具合で、あれこれ兼ね合いも生じます。

 

そんなわけで、ACの回復というのは、程度の差はあるにせよ、ものすごく複雑で、ものすごくたいへんです。この「回復はものすごくたいへんだ」という実感は、自助グループでは共通認識です。それは、ほとんどの人がその人なりの死線を越え、必要に迫られて自助グループに通うようになっていることからも明らかです。

 

このブログでは回復について書いているわけですが、実のところ、回復を選択しないという生き方も、それはそれでありだと私は思っています。またそれ以前に他人の生き方に正否や優劣をつけるなんて私の手には負えません。ようするに、ものすごく面倒くさくてたいへんで責任も負えないことだから、軽々しく人に勧められないわけです。

 

それでも私個人は回復しないという生き方を選びませんし、回復を選択してよかったというか、私にはそれしか生き延びる選択肢はないと理解していますので、今もコンスタントに回復に労力を払っているわけです。今日もこれから自助グループに行ってきます。

 

そんなわけで、回復を願っている皆さま、回復の道は一筋縄でいかず険しいのですが、お互いぼちぼち頑張っていきましょう!

第13回 個人的な人間関係を継続させることの難しさ

最初に、個人的な人間関係と社会的な人間関係の区別をしておきます。

学校や会社、お店などでしか合わない人とのつきあいが、社会的な人間関係で、休みに一緒にご飯を食べに行ったり、出かけたり、連絡を取り合ったりするのが、個人的な人間関係です。

そんな個人的な人付き合いができないのは、ACとしては当たり前です。

アダルト・チルドレン―アルコール問題家族で育った子供たち』という良い本があるのですが、この中で著者は「ACの問題は基本的に情報が不足していることにある」と言っています。これは、問題の核心を突いています。

ACは、健康な人間関係で過ごす経験の量が圧倒的に足りていないのです。

わたし自身を例に挙げると、個人的な人間関係というのが存在することがわかりませんでした。例えば、学校を卒業したら、同級生は基本的に赤の他人だと思っていました。反抗期でいきがっていたとかじゃありません。これは、最初からです。

私は保育園に通わされていて、保育士さんにはちゃんと面倒を見てもらっていました(余談ですが、「嘘を吐かない」「陰口や悪口を言わない」といった、一般的な道徳をわたしが身に付けられたのは保育園のおかげです)。

それで、小学校に通うようになってからも、保育園が通学路上にあったため、保母さんと顔を合わすこともあって、声を掛けられたりしたのですが、「もう卒園したから他人なのに、なんで話しかけてくるんだろう」と私は思っていましたし、そう親にも言っていたそうです。

 

私の心は長らく、「ここまでは誰でも踏み込んでOK」というパブリックなところと、「ここからは誰も入れない」というプライベートなところの二つにわかれていて、それ以外の区分はありませんでした。 自分以外は全員他人でした。小学校からの長年の同級生も、今日はじめてあった人も、全員、パブリックなところまでしか関わらせないし、それ以外に人と関わる方法はありませんでした。ちなみに、親や姉は、赤の他人よりも警戒して、自分のことをなおさら知られたくないと思っていました。

心に完全に壁を作っていたのですね。そりゃそうですよ、そうやって親や姉の攻撃から心を守っていたのです。必用は発明の母なり。

それと、実際的にそれで用が済んでいたのです。自分と、他人という区別で十分だったのです。幼い私には、家庭と学校(保育園)という環境の違う二つの場所があり、家庭では自分以外全員敵で憎しみと怒りで関わりあっていて、学校では、保育園で学んだ表面上のコミュニケーションを取ることで人と関わっていたわけです。

私の幼少期の生活には、これ以外の形で私の情緒が受け入れられる環境はほとんどありませんでしたから、そのように育ったわけです。纏足を履かされた足がその形以外に育ちようがないように、私も、環境に合わせた形で情緒を発達させて育ったわけです。たんに、環境を学習して適応したのです。

 

前置きが長くなってしまいましたが、私を含め、ACが個人的な人間関係を築けない理由なら、こんなふうに生育歴をちょっと振り返ればたくさん挙げられます。

・信頼の感情がわからないし、信頼を育てるコミュニケーションのプロセスも知らない

・健康な人間関係を知らない

・人や自分を傷つける衝動が強い

・支配する・されるの人間関係が染みついている etc...

ACの本を読めば、もっと詳しく載っているでしょう。

ひとつひとつトラウマやら混乱したコミュニケーション方法を自覚して片付けていく必要もあるのですが、今回のメーンの話はこれら問題についてではなく、継続的な人間関係を保つトレーニングをどうやったかに焦点を当ててお話しします。継続的なトレーニングでわたしはコミュニケーション能力を身に付けたし、むりなく個人的な人間関係を持つ、ということができるようになっていったのです。

とくに秘密や秘訣はありませんが、大人になってから、子供のころ身に付けられなかった情緒を身に付けるというのは、本当に大変です。

私は自助グループにもう長く通っています。最低でも週一回、十年以上通っているのですが、これがわたしにとって最大の「個人的で健康的な人間関係を築き、継続させる練習」です。とくに秘密や秘訣はありません。

それで、わたしが苦痛なく、共通の趣味を通じた個人的な友達ができて、気兼ねなく遊べるようになったのは、去年のことです。もし子供の頃から私みたいにぜんぜん私的な人間関係の感覚がなかったとなると、私以外の方も、きっとすごく時間と手間がかかるはずです。 時間がかかる理由として、人付き合いのことだけでなく、楽しむことへの罪悪感を減らすとか、くつろぐ感覚を知るとか、そういうことも含まれているからなのですが、いずれにせよすごく手間がかかるはずです。

 

個人的な人間関係を継続させられるようになるには、実際に無理ない範囲で人間関係を継続させる経験を自分にさせるのがいいのです。でも安全にそういうことができる場は、社会にはなかなかありません。自助グループは、それができる貴重な場所だと思います。

グループへの参加を続ける中で、自分の問題や成長に気付いたり、人付き合いでの苦手なことを練習したり、役割を持って責任を果たしたりして、コミュニケーション能力を磨いていきました。継続は力なり、です。

特別なことではなく、グループに来た人に挨拶をしたり、自助グループにはじめてきた方に説明をしたり、ちょっとした雑談をしたり(といってもACにとってこういうことをするのは心理的に簡単じゃないと思いますが)。とにかく自助グループの比較的おだやかな人間関係の中で他人と時間を過ごすわけです。

泳げるようになるためには、いきなり荒れた日本海に飛び込むのではなく、まず近所のプールに行って下手でもいいから泳いでみるってのが必要です。そういう練習を、自助グループではやりやすいです。グループ内のマナーに従う必要はありますが、それでも一般社会よりもずっとずっと、失敗したときのリスクや責任は少ないです。かなり安全に小さな失敗を積み重ね、経験を積んで学んでいけるわけです。

 

わたしは「組織」や「人」への不信感が強くて、自助グループになかなか通う気にならなかったのですが、コミュニケーションを変えるには、問題を理解するだけではなくて、実際に人とコミュニケーションしないことには練習にならないし成長しない、ということが、一年以上の引きこもり生活でやっとわかって、腹をくくって通うようになりました。野球のルールブックやトレーニング理論を学んでも、ボールを投げたり、バットを持って振らないことには、野球はできるようにならないのですよ。

ACの回復についての良い本を買って読んで理解が深まったとしても、生き方を変えて知識を実践できるようになるまでにはきっと長い期間がかかります。

 

「三つ子の魂百まで」と言われる性格を変えるのは、容易じゃないです。下りのエスカレーターを登る、というような表現もされますが、回復には常にそういう面があります。

 週に一回、月に一回のカウンセリングとかじゃあ、全然少ないです。そもそも「お客様」では、個人的な人間関係の練習にはならないでしょう。

 

わたしはミーティングに週5日通っていた時期もあるし、とにかく熱心に通っていましたし、いまも通っています。自助グループは常に実践の場です。また、カウンセリングと違って、たいしてお金はかかりません。

しかも、ミーティングにくるような人はみんな人付き合いが苦手です。自分だけじゃありません。苦手な人しか、基本いません。だから気が楽です。自助グループはそういう、自分を安全に育て直せる場としての機能を果たしています。

わたし自身が利用していて勝手が分かっているので自助グループをお勧めしていますが、人間関係を練習するのは必ずしも自助グループでなくてもいいと思ってはいます。ただ組織のそもそもの存在理由が私みたいなACの人のためであるので、他の組織に比べたら圧倒的に続けやすい、学びやすいと思います。というか、他の例えば趣味の集まりではやはり「社会的な人間関係」のコミュニケーションを使うだけになってしまい、個人的な人間関係の練習はできないのじゃないかと思います。

すごく個人的な体験を話す場である、自助グループでの人付き合いというのは、個人的な人間関係(すごくプライベートな経験を知っている者同士である)と社会的な人間関係(自助グループという仕組みの中で関係性が保たれている)の両方の要素を持っていますので、両方の練習になります。ですから、基本的に自助グループはお勧めです。

 

 

健康的で継続的な人間関係を築けるようになるには、安全に人間関係の練習ができる機会を自分に与えてそれを続けるといいよ、というなんとも当たり前のことを言っているのです。「英会話ができるようになるには、片言でもいいから誰かと英語でしゃべる練習をするのが効果的だよ!」って感じですね。

にもかかわらず、ACの問題は「取り除ければOK」的なトラウマとけっこう混同されていたり、あるいは治療で生じた気付きによる一時のカタルシスで問題がすべて氷解、解決したみたいな書かれ方をAC向けの本でされていたりするのですが(そりゃ、病室の外の患者の実生活なんて医者は見ているわけじゃないからね)、それでははっきり言ってまったくもって不十分です。

例えば、摂食障害の原因として、ほかにストレス発散方法を持っていないためであると気付いても、他のストレス発散方法が身につくまでは摂食障害に頼るしかないのです。思いやりを表現するコミュニケーション方法を自分が持っていないと気付いても、コミュニケーション方法を学んで練習して身に付けるまでは、やっぱりできないままなのです。そしてそれは医者との面談だけでどうにかできるものじゃあないのです。

だから、ACが成長・回復を本当にモノにするには、日々のトレーニングが大事なのです。そのためには、毎日の生活に回復のプロセスを組み込むことが欠かせません。ACの回復というのは、生活習慣病への対処みたいなもんだと思うとわかりやすいかもしれません。

 

こういう、コミュニケーションの技術や経験不足からくる問題への対処方法として実践的なトレーニングの機会を積極的に設ける重要性にはあまり目が向けられていないと思って、今回の内容を書いてみました。

 回復のために日々取り組むこととしては瞑想とかがあるわけですが、日々のルーチンについてはまたあとで書きます。

第12回 誰にも助けてもらえなかったあなたへ

子供の頃に苦労したものの、社会的に成功して、精力的に生き、精神的に病んでいるわけでもなさそうな人というのが、ときどきニュースで話題になります。しかしそんな人には、まず間違いなく、誰か一人味方がいます。お兄さんとか、おばあさんとか。近所のおじさんとか、おばさんとか、とにかく、誰か味方がいた経験を少なくとも数年は過ごしています。誰か一人味方がいるかいないかは、ものすごく大きな違いです。ものすごく大きいです。

そして成功した彼らはこういうことをいうのです。「たとえ恵まれない子ども時代であったとしても、それに負かされることはない。努力次第で人生を切り開くことはできる」と。そして、ACでない人たちは、あるいはACもそれを褒めたたえるのです。

そうやって問題を自己責任論に還元してしまうことによって、社会としては問題に目をつむってしまえるのです。努力や根性、個人の責任ということになれば、幼少期に恵まれない環境で育った人に対して、結局のところ何も手を差し伸べる必要がないし、社会が変わる必要もありません。ただただ「苦難に負けず、努力してきたあなたはすばらしい」と誉めれば用が済むのです。そして、子ども時代の不遇を乗り越えられない人に対して、「それはただの言い訳だ。あの成功した人を見ろよ、努力で乗り越えてるじゃないか。あなたが弱いのが悪いんだ」と、冷たく言い放つことができるのです。

彼らは知らないのです、努力や根性ではどうにもできない、不遇な子ども時代の影響というのがあることを。努力や根性でどうにかできるはずだ、できないのは自分が弱いからだ、などと思わないでください。

 

子供の頃わたしには誰も味方がいませんでした。

幼い頃「本当の気持ちをわかってくれるのはおまえだけだ」と泣きながら抱きしめていたのはぬいぐるみです。ようするに、誰もいなかったのです。4歳7カ月のとき、「死ぬ」という言葉と意味を知ってすぐ、死にたいと思うようになって、12歳まで、子どもというのはみんな死にたがっていると思っていましたし、人生はそういうものだと思っていました。

幼児期の愛着の効果を調べるために、猿を使った実験で、母親の代わりにぬいぐるみを与えた、というものがあります。母親に育てられた猿と違って、大人になってから凶暴で情緒不安定な一匹狼みたいになったそうですが、分かります、この猿は私です。

 

たぶん、子供の頃に苦労して、その後も苦労し続けている人というのは、相変わらず味方がほとんどいないと感じながら、社会の中でひっそり息を潜めて生きています。

私のブログは、そんな人に向けて書いています。

誰にも助けてもらえないままひたすら我慢してがんばって大人になって、大人になってしまったために、子どもであれば出会えたかもしれない無条件で助けてくれるような人に恵まれる可能性もゼロに近くなって、そのうえ大人としての責任ばかり増えてしまって、自分でどうにかしなくちゃならなくなってしまったけれどもどうしたら良いのかわからないよって人に、ほんの少しでも助けになればと思って書いています。

そしてまた、ACのことを知らない人が読んでも、感覚的には分からなくとも、理屈で理解できるようにと、精一杯わかりやすく書いています。

自分で言うのもなんですが、こんなにわかりやすくACの心情や回復について論理的かつ詳細に説明している本やブログは、世界中どこを探してもほぼないと思います。

 

ACの回復については、いろいろな本が出ていて、あれこれやり方が提案されていて、まるでダイエット本や英語学習教材みたいに商売の種にされている部分も垣間見えますが、回復は、人間が本来持っている学習能力や自己治癒力を生かして生じるもので、奇跡みたいだけど奇跡ではありません。特別なことをする必要ありません。だけど王道もありません。強いて言うなら時間とやる気です。今あなたが生きているということは、回復できるということなのです。

お金を掛けたから回復するわけではありません。他人頼みでも回復ははかどりません。他のすべてのトレーニングと同じく、効果があると知られている、地味で根気の要るやり方で、きちんとすることをこなすことで回復は進みます。優秀な医者であれば優れたアドバイザーにはなれますし表面上の問題に対する応急処置もしてくれるでしょうが、あなたのAC性を根本的に変えることはできません。あなたのAC性は良くも悪くもあなたの人格の一部で、常にあなたと共にあって、外科手術で切り離すことはできないからです。回復は、あなた自身で腹をくくって自分に向き合うことからしかはじまらないのです。

はっきりいって、回復のプロセスは辛いです。辛くない回復というのはありません。いっときの喜びはあっても、基本的に辛い、そういうものなのです。麻酔なしで心の傷をえぐって膿を出し、偏った癖を刈り取り、使わなかった心をリハビリして動くようにして、これまでと180度違う信頼や愛情に基づく生き方を学ぶ、そういう作業だからです。しかし回復しない生き方も、やはり辛いですから「成長痛」「慣れた苦しみ」どちらを選ぶかはあなた次第です。

回復の作業だけでなく、状況もたいていの場合しんどいはずです。子どものときよりも生き方や考え方が硬直的になっていて、しかも社会人をしていると時間もエネルギーも回復に費やせる部分が減っているし、さらにいうと、ACの性格特性を使って仕事をしている場合もあって、生き方を変えることが子供の頃よりもずっと難しくなっているというのに、社会的なフォローは薄くなって、誰もかわいそうだとみてくれず、ぜんぜん自分のせいじゃないのにいろいろな問題を抱え込まされ、しかも自分でどうにかしなくちゃならなくなっているわけです。

私はそんなあなたの味方です。

できるだけ具体的にACの問題や回復への筋道を書いているのも、私よりもちょっとでも楽して早く回復して欲しいと願っているからです。

「死んだ方が絶対に楽だ」と思いながらも、わたしがこれまで死なないできたのは、私のように苦しむ人をできるだけなくしたい、という思いがあったからでもあります。なんかこんな利他的なことばかりいうとうさんくさいですね。私の個人的な動機には、さらにいうと、子ども時代の自分のかたきを取ってやりたい、という思いがあります。わたしはもともとものすごく負けん気が強いのです。ものすごく苦しめられたのに、回復したらそれでおしまい、ただ苦しみが過去になって何も残らないなんて、しゃくじゃないですか。でも、私の回復の経験を役立ててもらえば、苦しんだ甲斐があったってものじゃないですか? 多くのACの回復に寄与することが、わたしにとって最大の復讐なのです。そういう意図もあって、回復のプロセスについてわたしは気付いたことをもれなく書き残していて、18年間でノートは百冊以上、それとは別にパソコンに打ち込んだものもあってこっちは原稿用紙換算で少なくとも2万枚以上は書いています。

回復について広く知ってもらうことだけでなく、本当はもっと社会的にAC性が取り上げられて、予防が進むことを望んでいます。

大病した人やけがした人のなかには、「なってよかった、世界が広がった」みたいことをいう人がいて、ポジティブな生き方の典型としてときどきメディアに取り上げられますが、わたしはACにならずにすめばそれに越したことはなかったと思います。子ども時代の自分を救えるなら、ぜひ救ってやりたいです。予防は治療に勝る、ということです。

だいぶ長くなってしまいましたが、わたしはこんな思いでブログを書いています、という表明でした。

第11回 AC(アダルトチルドレン)は身近な人ほど傷つける

「虐待を受けた子どもの世話をすると、理不尽なほど世話する大人に迷惑を掛ける。これは、大人が本当に信頼できる人かどうか試しているからだ」

というようなことが、どの児童虐待の本にも載っています。

 

私の体験からするとですね、あれは別に試しているわけじゃないと思うんです。

 

「信頼できるか試している」というのは、「信頼」って感情をそもそも知らない子どもだった私としては、ちっとも腑に落ちません。虐待を扱った本に載っているような子どもたちも、きっと「信頼」という感情にはあまり縁がないと思います。だから、そもそも子どもがろくに知らないであろう感情に基づいて行動すると考えるのは、おかしいのです。

 

私以外の当事者の感想みたいなのを読んでも、第三者的に「試していたんだと思う」みたいなことが書いてあったりするのですが、だいたいそういうのを振り返って客観的に書ける人は児童虐待のことを多少知っていたりしますから、自分の言葉というよりは、児童虐待の本に載っていた説明を優先してしまうんだと思います。

実際に、当事者がはっきり意図して「信頼できるか、大人を試していた」と言っている感想は、見聞きしたことがありません。みんな自分が何やっているわからないままで反抗的だったり人を傷つける行動をしているのだと思います。自分が何をやっているのかわからないままそれをやってしまう理由は簡単で「子どもにとってはそれが当たり前に身についていること」だからです。

わたしはこれは、原因がいくつかの層に分かれて絡み合って生じているものだと考えています。

 

1 人に対する不信感。距離を近づけたくない。社会に批判的な態度が癖になってる。

2 心理的に近づかれることに不慣れであること。恐怖。

3 やわらかい心がわからない。相応しいコミュニケーション方法も持っていない。

4 距離が近い人ほど傷つけ合う、傷つけるものだという、学習した人間関係

 

1→4に行くほど、本人にも自覚しずらい感情になっていきます。なぜなら、一般的に広く言語化されていないことだからです。自分の体験であっても、独自に言葉にするって、すごく難しいんですよ。

さて、上から順に説明します。1と2は似てますが、違います。1は目に見える部分なので、本人も周囲の人も理由を説明したり理解できることです。2は感覚的、生理的な部分です。3のやわらかい心というのは、甘えるとか、親しみを覚えるという感情のことなのですが、これは恐怖や怒りと違ってソフトな感情です。怒りとか悲しみに比べると、変化が微妙でデリケートなのでわかりづらいんです。料理でも、濃い味付けになれていると、食材そのものの味を味わうことができない、なんにでも醤油をかけてしょっぱくしちゃう(あるいは、なんにでも七味をかけて辛くする)、とかあるじゃないですか。そういう感じで、怒りとかになれてるACにとっては、デリケートな感情って感じ取るのがすごく難しいんです。それと、相応しいコミュニケーション方法を持っていないというのは、そのままです。大事にされた時にどう振る舞えば良いのか、大事にされたことが少なければよくわかりません。

 

この3までは、被虐待児を世話するうえで理解しておかなければいけないこととして知られていると思います。

最後の4ですが、これが「子どもは大人を信頼できるかどうか試す」というふうに勘違いされている部分だと思います。

私の考えを言うと、大人を試しているんじゃなくて、「身近な人間は激しく傷つけあうのがマナー」として家庭で学んでいるので、これをやっているのです。「拳で語り合う」じゃないけど、戦闘民族みたいになっちゃうんですね。だって、一番身近であるはずの家族から傷つけられていたのですから、そうしたら「身近な人間ほど、傷つけるのが正しいコミュニケーションである」と、体験として血肉にすり込まれるんですよ。

わたしにもその衝動があって、本当に苦労しました。すげー好きな子の家に刺身包丁もってほがらかにあいさつに行こうと思いましたから、「びっくりどっきりさせちゃお~」くらいのノリで。自分が狂っているのがわかっていたので、むりやり相手との人間関係を断って衝動を叶えられないようにしましたけど、この衝動はものすごく強かったです。「ぜったいに面白い」って思い込みがすごかったです。かろうじて残っていた正気の心で対処できたからよかったものの、普通におまわりさんに捕まりますよね、これ。ここまで酷いことはなくとも、やっぱり相手を平然と傷つけることはあって、「身近で大事な人ほど傷つけようとする衝動が強く出る」という、根深い癖を自覚した時「俺、死んだ方がいいな」と思ったものです。まあ、基本的にそういう時期はほとんど一人きりでアパートに引きこもってましたけどね、人に迷惑掛けるのも、自分の人生をさらにややこしくするのも嫌だったから。

ともかく、相手を試しているんじゃなくて、「やたらに相手を傷つけるのは、近しい人間がするコミュニケーション」という刷り込みがあるということ。

昔の流行歌に「触るものみな、傷つけた」って反抗期の心を歌った歌詞がありますけど、そういうのじゃないですよ、ぜんぜん反抗してるつもりじゃないんです。普通に、そうやっちゃうんです。第5回でトラウマの影響に気付く難しさを書きましたけど、ボールが目の前に飛んできたら瞬きしちゃうのと同様の無意識レベルで染みついてて、やろうとしちゃうんです。

これとは別に、わざと相手を不快にすることもあると思うんですが、これも「相手を試している」わけじゃなくて、「薄味でものたりないから、醤油をかけて慣れた濃い味にしよう」みたいなことなんです。思いやりだけで関わられると、体験に慣れてなくて物足りないっていうか、うまく受け止められないから、慣れ親しんだ憎しみと怒りを織り交ぜて体験を受け止めやすくしよう、というわけです。これもほぼ無意識にやっちゃうものです。

被虐待児が、大人をわざわざ怒らすようなことをするっていうのは、こういうことなんだと思うのです。第2回で書いたように、そもそもの感情や人格の基盤が「怒りや憎しみ」にあるというのは、事あるごとにその感情に戻ろうとする作用が働くということですから。

 

 というわけで、被虐待児の行動の原理について、実体験を通じたまったく新しい所見を表明してみたわけですが、実は被虐待児の典型的な行動としてやたらベタベタなつくというのもあります。わたしはそういうタイプの子どもでなかったので、考察が及んでいない点は、ご容赦ください。