第27回 トラウマ記憶は凍らない
トラウマ記憶について「凍り付いた記憶」と表現されることがよくあります。専門家が書いたものでも、そんなふうに載っていたり、あるいは実際にそのような固定したものとして理解やら説明をされていたりします。
でもこれ、完全に間違いです。
現実のトラウマ記憶というのは、いつまでたってもピッチピチでみずみずしく、生き生きとして衰え知らずの、不老不死のような記憶です。
だから困るのです。
凍り付いて静かにしてくれてればいいものを、そうなってくれません。それがトラウマ記憶です。トラウマ記憶というのは、それが当人の意識に上っていなくとも、無意識下でその人の言動を左右するし、意識に上っている場合には、常に大きな声で自分の存在をアピールしてコントロールしようとする、そんなものなのです。
まあ、「生き生き」「ぴっちぴち」なんて表現をすると、一般的にポジティブなイメージと結びついている言葉ですから、なんだか相応しくないみたいな気がするかもしれませんが、でもそれが実際であり、実感でもあります。私個人の実感だけでなく、トラウマ記憶の典型的な症状に、「ある出来事が時と場合に関係なく理不尽なほど活発に意識に上ってくる」というのがあることは非常に有名ですし、皆さんご存じだと思います。
ようするに、トラウマ記憶には、ほんの少しも「凍り付いている」感のある要素はありません。むしろ、常にホットで元気はつらつなのです。
もちろん、 「凍り付いた」というのは、比喩ですから、事実そのままでないってことは承知しています。ただ、あまりにかけ離れているので、これは比喩とは呼べないと思うのです。比喩というのは、物事の本質を理解するのを促すために使われるべきであって、間違ったイメージを持たせるものであれば、それは比喩ではなく、でたらめと言うべきでしょう。
というわけで、トラウマを「凍り付いた記憶」と表現するのは、「でたらめ」だと思います。
話は変わりますが、ガンの細胞というのは、分裂の回数に限りがある普通の体細胞とは違い、永遠に分裂し続け若さを保つ不老不死の細胞であることが分かっていますが、なんだか似ていると思いませんか?
そんなわけで、トラウマ記憶のことは「凍り付いた記憶」と言うより、「記憶のガン」と言った方がずっと現実に即しているし、比喩としてもあまりおかしくないと思います。